09/04/28 21:58:27
道具の価値に普遍性を持たせようとしても無駄なんだよね。
道具の価値なんか相対的なものでしかない。
茶杓も茶筅もどちらも同じ素材の道具で茶を点てるのに重要な道具なのに
どうしてここまで値段が違うのだ?
じゃあ、美術品としての価値には普遍性があるはずだというだろ?
では、消耗品の価値は?水の価値は?墨や芸術とも言える灰型には価値はないのか?
あんなきれいな茶花にはなんの美術品としての価値もないのか?
俺たちの言う美的価値って一体何なんだ?ってことになるんだ。
箱書は、数ある道具の一部しか保証していないじゃないか。
灰型や茶花なんて何の金銭的評価もされないじゃないか。
もっと言えば、お茶の味そのものに価格なんてつけられるのか?
規矩作法を守るのは大事なのはよくわかるよ。
けど、その作法を評価できるのはすべて「家元の基準」になってしまう。
「若いから」青年部で新しい試みが許されるのであって教授クラスの先生がそんなことすれば大目玉だ。
新しい試みが評価されるのは十職だけなんて、作家にすごく失礼な感じがするが。
家元の審美眼というのは作家の個性を許さないほど高いレベルなのか?