09/04/22 23:16:37
「文化」でメシを食ってるやつは、最初はみんな極貧からスタートするだろ?
アーチストっていわれているやつは、若いときは「メシより芸術」をとるじゃないか。
良くて学校の先生。ひどい時は野垂れ死に。この現代にろくにメシも食えず結核に掛かるやつもいる。
茶道は果たして命をかけるほどの総合芸術たるや?
あるいはそこまでできるほどの伝統芸能か?
過去の茶人の話と現代茶人を比較する限り、
金持ちの手慰み、あるいは「金で許状を買う」制度、道具ひとつ取っても厳しい制約がある。
まるで自由がない。
大工さんがよく物忘れをしていたが、お茶をやるようになって段取りが良くなったなど、
昔は「職業訓練」の要素もあったけど、今はそんな余裕もない。
今の若者は職にありつけるかどうかすら怪しいのだ。
家元や高齢の先生が若者や若い先生から金と時間を収奪しているような状況にちょっと嫌気がさしているんだ。
お茶を続けて得られるのは許状だけ。でもそんなもの金持ちになってちょっと余裕があると
すぐ追いついてしまう。点前技術論で言えば、金と時間を持っているほうが有利。
そもそも点前自体時代とともに変わっているし。昔習ったことが通用しなくなっている。
いい先生についたからと言ってずっと役に立つと言うわけじゃない。
そもそも点前作法はできてあたりまえ。資格・許状も相対的なもの。じゃあ、お茶を続ける意義って何なのさ?