09/12/25 14:23:50 2T8SJKju
>>768
記憶のそこからのほじくりだが、
ブルートレインは研修回帰は単体でも、一度編成を組むとその編成での運用が極めて厳格だった時期がある。
24系24型の黄金期の設定を思い出すと
「例えば」運用はあけぼの、奥羽本線経由青森行として
10両編成+カニ 後部3両秋田回転の残りは青森とする、基本編成7両が青森で6日周期、付属が3両編成4日周期とする(嘘っ子設定)
基本が青森車客貨車区、付属が秋田運転所として
例えば青荷323+青123+秋附123とかいう記号となって、
青荷323は4日周期、青123が6日周期、秋附123が4日周期・・・とする
青荷は4日はずっとあけぼのだが、次には検査かもしれないし、出羽かもしれない鳥海かもしれない。
青は6日のうち、4日はあけぼのだが、ほかの2日は秋附より長い青附と付く6両編成の附属編成を連れて、13連東北本線ゆうづるとして運用する日がある。
そのちょうど基本編成が最小ですむような切れ目にオハネフ24が組まれていたと記憶している。
でだ。
確か、昭和53年までの青森区秋田区の24系24型はオハネフ24が編成非カニ側一方連結であり、昭和53年10月改正で1/3のオハネフ24を方向転換し丸妻同士の連結にしたと思った。
これは、前の設定を簡単に覆すが、あけぼのの20系廃止と関わっていたはずだと思う。
基本編成の冗長性確保のタイミングが変わり、基本編成を2種類持たなくてはならなくなったため(あけぼのは当時、A寝台需要が特に旺盛でロネ2両がデフォルトで引き継がれた)、
基本編成をフル回転する考え方から、附属編成をフル回転する方策に変更したため、附属編成のハネフ向きの不都合が多くなり方向転換したはず。
またムコ区から押し出されたハネフが入ったのも大きかったはず。
(予備ハネが減り、逆に予備ハネフを多く取ることができるようになった、それまでは予備ハネフが尽きたとき、基本編成のエンドにハネを差し入れてハネフ代用することをしていた)
ちなみに24系24型の編成で一方ハネフ方式を採用していたのは昭和51年~昭和53年の一時期が代表的で、それ以外の配置区であるムコとシナは丸妻突合せで運用している。
記憶曖昧で申し訳ないが、オハネフ24は最初、ジャンパ栓受を丸妻のテールライト周辺に設置していたが、
この一方ハネフ時代に一部中間に入る基本編成非カニ側ハネフ、附属編成カニ側のハネフ使用車から、作業性向上と作業空間狭小の弊害危険防止の観点から
ジャンパ栓床下取り付けに移動開始したはず。
(丸妻同士で連結している分にはジャンパが邪魔ではなかったが、丸妻+平妻連結の必要から狭くなり、係員の挟まれ事故がおきたはず)
ここだけ記憶とっても曖昧。