08/05/10 09:56:55
>>80
>牛の命より大豆の命のほうが格下って発想があるから
まず、人間の体力で、牛一頭を絞め殺すのと豆を収穫するのとどっちが体力を使うか使わないか、ってことはあるだろうな。育てるところから、ってなら大豆もずいぶん体力を使いはするが。
それから、人間は植物性食品のみで生きていけることは紀元前六百年には証明されている(ピタゴラス)。くだって、共和制ローマの兵隊は、進軍中は(数年におよぼうとも)基本的に果物しか口にしなかった。
牛を、殺さなくても人間は生きていける。
だから“わざわざ”殺す必要はないってことだろ。
人間は牛だけ食っていれば生きてゆける。だから“わざわざ”大豆を殺すことはない、という風に置き換えることができれば話は別。
そもそも“尊いから殺さない”という発想がおかしい。命の重さと殺傷(捕食)は別ファクターで語られるべき。
でなければ、動物の総てが、命を大事にしていないということになる。
連中は、獲物にたいして感謝なんてしないし、獲物が豊富なときは内臓しか食わずに他の部位は放置だ。
群れをつくるリカオンなんかの犬科やライオンなんかは、食い尽くしてしまうパターンが覆いそうだが。
クマが、河から鮭を捕って腹だけガブッてのはそれなりに有名だろう。うちのネコも、ネズミを捕ってもよっぽど腹しか食わん。なぜか焼き魚は腹だけ食わんが。
けっきょくは“それを食うこと食わないことでどこまで己の生死に関わるか”ということだけ。
まぁ、命が尊いだの可哀想だなどと騒ぎ出しているのは、一部の勘違いベジタリアンなのだが。感謝しているだの、残さないから命を無駄にしていない、ってのも非ベジの勘違い。