08/05/23 03:00:55
>>169
「感謝」という表現は、彼らが本来言いたい事にぴったりの言葉が無いので
代用品として使われているだけではないかと思う。
彼らが本来言いたいのは、感謝っぽいけどちょっと違う
一言では言い表せない概念ではないだろうか。
実際に感謝を本来の意味で使っているのは、戦前戦中派などと呼ばれた
古い時代の日本人達だけではないかと思う。
そういった時代の人々からよく聞かされたのは、
魚や肉は動物の死体であり仏様であるという話や、
米には八十八人の神様が宿っているといった話だ。
我々は魚や米などの神様・仏様から命を分けてもらって生きているのだから
飯を食う前には感謝しろ、飯は残すな、好き嫌いするな、
というのが彼らの言い分である。
実際は分けてもらってるんじゃなくて狩ってんじゃねえか、などと
細かいツッコミは入れたくなるものの、
今のように食い物など余っておらず、メタボなんて概念からは程遠く
粗食に耐えていた時代の人々の価値観と考えれば
それなりに納得できる話である。
ところが今は、食い物を輸入しまくって食い残す飽食の時代。
死体を仏と呼ぶのはTVドラマの刑事くらいのもので
死体に手を合わせるのは、
貞子や花子さんやメリーさんのように化けて出られるのが怖いので、
魔除けの意味で拝み倒すという意味合いのほうが強い。
古来の日本で行われた、食事どきの「感謝」の概念も今では風化してしまっている。
長くなったので、説明途中だが一旦終了。