08/05/22 13:02:15
動物が可哀相、というベジの意見。
植物は食べられるようにできている、というベジの意見。
について、やはり微妙な不自然さを感じる。
その前に宣言するが、俺はベジではあるんだけどね。
ライオンなどの肉食獣も、その実、草を食べている。
獲物を捕らえて最初に内臓、それも胃袋や腸に食らいつくのは『消化途中の自分でもどうにか消化できる草にありつくため』なのだから。
他の部分は、残しこそすれ。まあ、とはいっても、けっきょくたらないから、他の部位も食べるんだけどね。
可哀相、というのはそれは植物でもいっしょでしょう。感情があろうとなかろうと、生物の定義が未だにできていないとはいえ、植物はたぶん生物なんだから。
食べられるようにできている、ではなく、食べられても大打撃を受けないように保険をかけている、という言い方のほうが正解だと思う。
ことにハーブとよばれる種類のもの、タマネギやニンニクのような刺激の強いもの、というのは食べられない為の防衛なのだから。
植物に食べられても言い、食べられることを目的としている、という部位があるとすれば、
それは果肉のある木の実だけだろう。緑色の葉っぱのある中、わざわざ赤やオレンジ色、ピンクの実をつけるのは≪見つけてくれ≫ということに違いないのだろうから。
非ベジが言っているが、『生き物は他の命を消費することで生きていくしかない』というのは正解なのだ。
ただ『だから残さないようにするなど感謝して食べている』というのは、植物が可哀相というベジの主張とまったく同レベルの偽善的発言でしかない。
内臓だけ食べて他の部位をほっぽっておく、ライオンやヒョウは、ハイエナのために残しておくわけじゃない。熊がサケを残すのは、バクテリアにやるためじゃない。
こう言ってはなんだが、自然界の動物が獲物に感謝などしないように、人間とて感謝する必要はない。
まず感謝しなくてはならないとすれば、食べることができたという『機会』や『チャンス』に対してである。
ほんとうに命を大切にしているのだと主張したいのならば、食べなくてはならないものだけを食べるようにすべきだ。
食を楽しむのではなく、死なないように、健康を害さないように食べるべきである。
『食を楽しむ』などというのは、もっとも命を冒涜した行為だと知るべきだ。