超常現象関係ぶっちゃけスレッドat ESP
 超常現象関係ぶっちゃけスレッド - 暇つぶし2ch172:災難以外何もなし
08/11/17 10:18:23 4uN186BD

呪詛はあたかも当然のごとく、人を病気にし、人から愛するものを奪い、人に死をもたら
すものとして昔から恐れられてきた。これらの現象は偶然の一致なのか、それとも自分が
のろわれていることを知ったための結果なのかをポール・シービキンが検討する。






呪詛は破壊や悪のための祈りであり、僧侶、魔術師、シャーマン、そのほかの不幸を願う者の使
い慣れた武器の一部である。しかし、呪詛は効果があるものだろうか?  もしそうなら、
どのようにして効果を発揮するのだろう?  他の誰かを呪う事は抑えられていた感情に
出口を与えることになるが、ほとんどの心理学者は、犠牲者に災いが起きると予期しない
限り呪詛の儀式はそれ以上のものにはならない、としている。ボストン大学の心理学者サンフォー
ド・コーエンは実地調査から、呪詛は、それを受けた者が完全な絶望感に陥るときに致命的に
なる、と確信している。彼は、西洋人が一般に致命的と考えられている病気への恐れから
死ぬことと、原始人が呪術師の呪いで死ぬこととは、驚くほどよくにかよっている、と述
べている。

別の説明はテープレコーディング理論で、想念は、他のものや人間に刻印できるし、また他人のと
ころへ移すことが出来るというものである。その想念に悪意がこもっておれば、結果もそ
のようになる。超自然的な偶像や呪文などをまったく疑っていた人が、呪詛の犠牲になっ
た例は無数にあるようだ。彼らの懐疑は結果を免れるには何の役にも立たなかった。引退
したアメリカ海兵隊大佐、ロバート・ハインル2世のケースを見てみよう。彼は1958年から1963年まで
軍の特別任務の責任者としてハイチに赴任していた。妻はブードゥー教の研究をしていた。2人は
アメリカに帰ると「血で書かれた」というハイチの歴史の本を出版したが、そこであからさまに現
政権のフランソワ・パパ・ドク・デュパリエ王朝を批判した。やがて夫妻はハイチ亡命者が発行してい
る新聞で、1971年のパパ・ドクの死後、未亡人のシモーヌによってこの本にのろいがかけられた
らしいということを知った。

173:,白からす黒ひつじ
08/11/17 10:40:08 4uN186BD
呪詛は、それを受けた者が完全な絶望感に陥るときに致命的に
なる、と確信している。                    >>


非創造的方向付けを持つ支配力の運命的誘導の働きの事ですね、、。


174:,
08/11/17 10:43:29 4uN186BD


最初のうち夫妻は、自分たちの本が呪詛に値したとほくそえんでいたが、喜びはすぐに恐
怖に変わった。まず原稿が出版社に運ばれる途中に紛失し、4ヵ月後、出版社のこれまで使
用されたことのない部屋で発見された。一方、夫妻は原稿のコピーを発送する必要上綴じた
り、縛ったりする仕事を他に依頼したが、機械はたちまち壊れてしまった。著者にインタヴュー
するつもりでいた「ワシントン・ポスト」の記者は、急性盲腸炎になった。大佐は演説をしようと
して壇上から転落し、足を怪我した。そして家の周囲を歩いていて、犬に突然ひどく噛ま
れた。

1979年5月5日、夫妻ははいち近くのセント・バーテルミー島の祝日で島にいたが、とうとう大佐
が心臓麻痺で倒れて死んだ。未亡人は、「人がハイチに近づくほど魔力が増すという信仰があ
るのです」と、しみじみ語った。




175:,
08/11/17 20:34:08 4uN186BD
ダビデ王の町で


呪詛は多くの儀式ではっきり禁止されているにもかかわらず、主な宗教の聖職者によって
いまだに行われている。1981年9月、ユダヤ教正統派の1セクトのリーダーであるラビ、モウシュ・ハーシ
ュは、イスラエルの考古学者イガル・シャイロウうぃ、もしダビデの聖都を発掘することに固執するなら
光の杖の呪いをかける、と脅かし続けた。発掘は中世のユダヤ人の墓所を汚す事になるとラビ
は主張していたが、考古学者は墓の存在を否定していた。

光の杖の儀式はカバラ(ユダヤ教の秘法)に基づくテキストを読むことを意味した。執行するも
のは黒いローソクをともし、子羊の角笛を鳴らして相手の母親の名に呪いをかける。「この
儀式は究極の手段だ」とラビは言う。「この儀式はこの30年間で2度行われただけだが、2
度とも恐ろしい結果になった。多数の死に方がある。あるものは他よりずっと楽しくない」。
しかし、不運にもラビはシャイロウの母親の名前が分からなかった。

英国国教会の静かな空き地でも、時には教会から泥棒を撃退するための儀式が行われるこ
とがある。1970年代以降、イングランドのグロスターシャー地方は、2人の牧師が神罰の警告を含めた
礼拝を行っている。1973年には、ワイチ・リシントンのハロルド・チャールズ師が行い、1981年には、ダ
ウン・アンプニーのロバート・ネシャム師が行った。この礼拝には12の呪文が含まれているが、即興に
付け加えてもよいことになっている。この呪文が最初に現れたのは1662年の聖公会祈祷書
である。しかし1973年の改定時に呪いは、神の怒りと審判に取って代わられた。これは伝
統的に4旬節の最初の日に国教会の敵に向かって行われたが、教会やその敷地が汚された
と思えるときにはいつでも行われた。クリスチャンの呪いは、時には悪魔のそれと同じような効
果を表すことがあるように見える。16世紀初頭の修道院の廃止に際し、ヘンリー6世が修道士
から取り上げてしまった元修道院の古い邸宅は、それ以降、何世代にもわたって所有者に
修道士のたたりがあると言われている。

176:,
08/11/17 20:55:08 4uN186BD

水と火で


イングランドのウェスト・サセックス州にあるバトル修道院は1538年、アンソニー・ブラウン卿の子孫にまがまが
しい呪いがかけられた場所である。卿はヘンリー8世の本隊に属した郷士で、馬頭と巡回判事
の職に就いていた。伝説によるとアンソニー卿はこの修道院を手に入れた祝いの席で、教会の土
地を奪われて怒っていた修道士によって呪詛された。宗教改革の時代である。

呪いは特殊なものだった。一族は火か水で死ぬだろう、というのだった。しかし、呪いは
横道にそれたかに見える。カウドレイ公園は卿がいとこのサザンプトン伯爵から相続したものだが、
これが火災に遭った。しかし、mこれはずっと後の1973年のことであり、所有者は別人に
なっていた。

「魔に憑かれた英国」(1974)の編者、アントニー7・ヒピスリー・コックスは1907年にもことがち
ぐはぐだったことを書いている。その年クリーブランド公爵夫人はバトル修道院を短時間借りたが、
教会へ行く途中、敷地内で溺死した。しかし彼女と一緒の娘は助かったのだった。


177:,
08/11/17 20:56:56 4uN186BD

古くからある石や土中の宝物を動かしたりすると災いが生じると昔から信じられている。
この主の話はいくらでもある。ミイラの呪いのようなものがいつまでも人気があり、新聞や映
画にもよく登場する。一部の研究家は、こうした心に深く根ざした信仰は、集団が無意識
に共有しているもので、実際に影響力を及ぼしたり、神話に生命を与えたりしている、と
考えている。






石の心



スコットランドのアバディーンシャーのシリーにある古い城には呪いがかけられているという伝説がある。
川原のいくつかの石の群れは泣き石として知られているが、その一つが紛失したままにな
っている。そして、この石が見つかるまでシリーズの跡継ぎは決してうまくいかないと言われ
ている。



1944年にイギリスのウェスト・エセックス州グレート・リースのスクラップファゴット・グリーンの十字路にあった2
tの魔法使いの石が道路拡張のため他に移されることになった。すると、心霊的な大災害
が起きた。巨大な丸石が土地の酒場の外で見つかった。鶏がうさぎ小屋に閉じ込められ、
ウサギは庭を走り回った。教会の鐘が時を構わずに鳴り出し、野原で羊30頭と馬2頭が
死んでいるのが見つかった。村の建築屋は、足場の支柱がまるでマッチ棒のように折れるのを
見た。魔法使いの石は元に戻され、平和が戻った。



178:,
08/11/17 21:00:42 4uN186BD
魔法使いの石 >> 人がしでかせない事はないでしょ?



179:、
08/11/17 21:03:53 4uN186BD
1980年に30tの丸石がデビルズ・マープルズ(悪魔の大理石)からオーストリア奥地の付近に
人家の見当たらぬ銅の鉱山都市テナント・クリークの公園に移されることが遭った。原住民のワーラムン
グ族はこの大理石は、祖先の霊がこの世界を形作っていた夢の時代の名残であり、その遺
品への干渉は必ず病と死にいたると信じていた。この石がどかされた後、原住民の子供が
足のはれる病気にかかり、部落の長老ミック・テイラーは「この石が戻されない限り、誰かが殺さ
れる」と警告した。1981年3月、彼は脳膜炎のため50歳でなくなった。町は石を元
に戻すことに同意した。

1981年の終わりにイングランドのノーフォーク州キングズ・リンの市会議員たちは、18世紀のオベリス
クを破壊者から守るためにどこかへ移す予定になっていたが、これを拒否した。ラテン語の
碑文にはこう書かれていた。「この記念碑を動かそうとし、また動かした者はだれでも一族
の末裔まで滅ぼされる」


、、、、、そうですか、、、、。


180:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/17 21:06:04 4uN186BD
怒りの岩


1977年の夏、アメリカのニューヨーク州バッファローの航空会社副社長ラルフ・ロファートは、妻と4人
の子供とでハワイの火山マウナ・ロアを訪ねた。彼らはそこで地元の人間が、火山の女神ペレの怒り
を招くからと警告したにもかかわらず、火山の石を幾つか拾って家に持ち帰った。あるも
のはペレの姿を見たといった。ペレは昔からの噴火の間近いことを警告するために現れると
いう。ロファートの家族が家へ帰るとすぐ、マウナ・ロアは爆発した。数ヵ月後もしないうちに、ロファ
ートの子供の1人トッドは盲腸炎になり、ひざの手術をし、手首を折った。別の息子ダンは目の
病気に感染し、眼鏡をかけざるを得なかった。娘のレベッカは前歯を二本、秋に失った。19
78年7月、一家は石を元へ戻すように言ってきたハワイの友人へ石を送った。しかし、災難
は続き、マークは膝を痛め、レベッカはまた3本歯を折り、ダンは手の骨を砕いた。一方トッドは膝
を脱臼し、もう一度手首にひびを入れた。そうなってから、マークはまだ数個石を手元に置い
ていることを告白した。石は返され、トラブルは終わった。

カナダのオンタリオ州のアリソン・レイモンド婦人の家族も、火山から石をもってきたことがあった。彼女
は、次のように語っている。

私の夫は交通事故で正面衝突して死亡。母はガンで亡くなった。したの息子は膵臓が徐々に
悪くなるので病院に運ばれた。その後、彼は足を折った。娘の結婚は破綻した。私たちの
運が元に戻ったのは私が岩を元に戻したときだった。

テキサス州エルパソの木材商ニクソン・モーリスは警告を無視し、1979年にマウナ・ロアの石を自宅に持ち
帰った。家に帰りついた後、彼は屋根から落ち、アンテナに落雷して家具がめちゃくちゃにな
った。妻は不思議な病気に感染し、膝がはれたままになってしまった。

モーリスは家に強盗に入られて格闘し、尻と腿に傷を負い、飼い猫は妻の車の下に寝ていて、
車がスタートしたとき、体半分の毛皮をはがされてしまった。モーリスの孫は転んで腕を2箇所も骨折した。

181:,
08/11/17 21:13:46 4uN186BD
モーリスは取ってきた石を2つに割り、1つを友人にやったと語ったが、次のように付け加え
た。「彼は2年経たない間に4台も車を壊した後で、石を送り返してきた。それまでの彼に
は、こんなことは1度もなかった」1981年3月、モーリスは石を送り返した。

ハワイの国立火山公園所属の博物学者ジョン・エリクソンは、旅行者が家へ石を持ち帰ったものの、
恐くなって送り返してくる包みが1日に40袋にもなると言っている。

騒ぎ屋こと、クラッペ海軍大佐は、1950年マル島のトーバーモリー湾で英国海軍の兵隊たちと海に
潜った。スペインの無敵艦隊に属していたデューク・ド・フローレンシア号を捜索するためで、この船は
1588年に3000万ポンド金を積んだまま沈んだとされていた。彼が沈没船から手に入
れた戦利品の一つは頭蓋骨で、医学の専門家によると、北アフリカの女性のものだった。
クラッペは1956年にポーツマス湾にいたソ連の軍艦の近くで地中の任務に就いていた時、謎を
秘めたまま行方不明になった。ウェスト・サセックス州チチェスターで、首のない潜水夫の死体が波に洗わ
れていたが、検視官はクラッペのものと断定した。

沈没船から引き上げられた頭蓋骨は、ソコットランドのトバーモリーにあるウェスターン・アイルホテルに保存され
ていたが、ある日、ホテルのバーテンが誤って落とし、壊してしまった。同じ日、彼はスクーターで衝
突し、彼の頭蓋骨にひびが入った。ホテルの主人ドラルド・マクリーンは押入れに頭蓋骨をしまいこ
んだ。1970年にホテルの新しい主人リチャード・フォレスターはこれにドリルで穴を明け、カクテル・バー
に置こうとした。

私は普通の電気ドリルを使っていた。最初に起きた奇妙なことは、ドリルの穂先の金属が穴を
明けた後、内側に45度曲がってしまったことだった。私は驚いたが、別にそれ以上のこ
とは考えなかった。2時間後、私は後頭部が拷問にあったかのような痛みを覚えた。2日
間、何も出来なかった。それ以降、私は薬の処方を受けるようになったが、焼けるような痛みは去らなかった。

そしてこの出来事以来、たった一人これに触れた者も、同様な苦痛に襲われた。


182:,
08/11/17 21:19:25 4uN186BD
呪詛が一家に覆いかぶさるという考え方は、少なくとも文明の開始までさかのぼる。古代
ギリシア人は、強く呪文を信じていた。最も有名なのがアトレウス一族への呪いである。アトレウス
はヘルメス神の息子を恋争いのために殺す。ヘルメスは殺人者とその一族すべてに呪いをかける。
アトレウスは息子を誤って殺し、ホメロス物語の英雄である孫のアガメムノンは、彼の妻とその恋人
に殺されてしまう。そして彼女は、今度は自分の息子と娘に殺される。

ムーア人に支配された当時のスペインでは、グラナダの花大アバンセラへ家にはのろいがかかってい
ると信じられていた。多くのものが戦いや報復のために死に、後には一族のすべてがムーレイ・
ハッサン王によってアルハンブラ宮殿で15世紀中に消滅させられてしまった。


呪詛への免疫

イギリスではいくつかの貴族の家柄が一族への呪詛に遭っていると信じられている。18世紀、
スコットランドのブレッドオールピン伯爵はティンマウスの城を建てる為墓を移した。伝説によると、墓を動
かされた女性が、一族に同系の伯爵は続けて後継者にはなれないという呪いをかけられた
という。予言は当たった。

呪詛についてこうして書くというのさえ危険な仕事と考えられなくもないが、筆者は、父
親がこの点ではっきりと免疫を持っていたことに、ある慰めを感じている。1928年に
シチリアから追放されたばかりの魔術師アイレスター・クロウリー(通称ケダムノ)は、フランスのリビエラのカシスで
ラジオ・プロデューサーのランス・シービキンに出会った。2人は長いことはないあったが、その結果、
クロウリーはシービキンの星を占うことになった。占いは多くの予言に満ちていて、次々に当たった。
しかし、一つは外れた。シービキンは書いている。「ところで、あなたは45歳で死ぬでしょう」 
しかし、この予言当時32歳の彼は、75歳まで生きてしまった。

しかし、クロウリーの呪文はよく効き目をあらわし、犠牲者を出すのだった。最後の犠牲者は若
い医師ウィリアム・ブラウン・トプソンだった。彼は麻薬中毒のけだものにモルヒネを与えるのを控え
た。怒ったクロウリーは呪詛を浴びせ、自分が死ぬときには医者も連れて行くといった。経過は
そのとおりになった。クロウリーは1947年12月1日に72歳で死んだが、トプソンはそれか
ら24時間以内に死んだ。

183:,無動機単独テロ
08/11/17 21:39:24 4uN186BD




  ○  <<あの世でも死んで二度と現れるな、、、クズめ、、、。
 く|)へ 
  〉  ヾ○シ >>クロウリー
 ̄ ̄7 ヘ/
  /  ノ
  |   
 /
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