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■ついでだからもうすこしいおう。現在暴力団の重要な収入源であり、もっとも危険なド
ラッグのひとつあるとされている覚醒剤(メタンフェタミン)は、東京帝大の長井長義博
士によってはじめて合成され、第二次世界大戦中はヒロポンという商品名で、軍部を中心
に積極的に利用されていた。こうした覚醒剤は疲れをわすれさせ24時間たたかえる自己
完結的な多幸感をうみだす。ヒロポンは、戦後の復興にも大いに利用され1951年「覚
せい剤取締法」が施行されるまで、実質的に野放しにされた。「こんなに暑けりゃヒロポ
ンでもなきゃ、やってられないね」という昭和天皇の発言は、当時、覚醒剤がいかにひろ
くでまわっていたかを如実に表している(なお、昭和天皇は神をやめて人間になってしま
ったが、さいわいなことに人間をやめるところまではいかなかったらしい)。
■覚醒剤は人間を仕事(とくに単純作業)にのめり込ませる作用を持つ、きわめて悲しい
アップ系ドラッグである。不思議なことに世界のほかの地域に較べて、日本では覚醒剤が
不法ドラッグとしてきわめて高い割合で流通している。市販されているスタミナドリンク
の人気もその流れをくむことはいうまでもない(あれも相当あぶないよね)。こうした危
険なドラッグを、日本政府は、戦争や復興など都合のいい時には合法化し無節操に利用し
てきたのだ。