08/08/17 23:45:35 /IX3HiTz
>>678の言い分も>>682の言い分もすごくわかる
>>678の言い分は
講評は感想を言い合う場ではなく、その後の審査に繋げるための
議論の場であるから、当然メンバーはちゃんと理由に基づいた意見を言う
ことのできる人間で、十分に審議できる様な人でなくてはならない。
それができないなら講評はやるべきでない。
つまり、できない人間が多い生徒講評による審査は危険なもので必要ない。
こうだよな?対して>>682は
専門家やよく知っている人間ばかりが集まって議論するよりも、
何も知らずに見に来た観客に立場の近い人間が講評にいた方がいい。
その意味では、悪く言えば「無知」な生徒講評の意見も貴重なものだ。
また、自分から進んで意見を言うことが苦手な委員に対しては、誰かが
議論の糸口を作るような発言をすることで更に議論が発展するかもしれない。
俺の読んだ感じではこうだ。それぞれ5行でまとめてみた。
どっちも納得できる意見なんだけど、講評をやったことのある身として納得できるのは>>682かな
今回は観客の意見と全く噛み合わない審査となってしまったのは事実だけど、
各校の講評委員が議論する力を持っているか否かを審査できない以上は、それも
「運が悪かっただけ」ということになる。まあ、>>682の言う「やり方の問題」は、そのまま
メンバーの問題に直結するだろうと思うけど。
俺は生徒講評はあるべきだと思うし、生徒の質が毎回バラバラで時には誤審かと
言われるようなことがあるのはシステム的に避けられないと思う。