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第2次大戦中の日本軍によるダーウィン空襲で死亡した人々を追悼する
記念式典が19日、行われた。しかし式典会場からわずか数メートルの
ところに日本の船が停泊していたことから、出席者からは不満の声が上がった。
この船は東京大学の海鷹丸(うみたかまる)で、供給物資の積み込みを行うため
18日にダーウィン入りし、ストークス・ヒル埠頭に停泊していたも の。船員労働組合の
アンドリュー・バーホード氏は、同船を移動させろといった内容の怒りの電話を多数
受けたとし、湾内の別の場所に移動させるべきだっ たと述べた。
ダーウィン空襲は、1942年2月19日に日本軍がダーウィンを2回攻撃し、
少なくとも243人が死亡、数百人のけが人が出たもの。NT準州は第2次大戦中、
少なくとも64回の空襲を受けたがこの最初の2回の攻撃の規模が一番大きかった。
ダーウィン退役軍人協会のピーター・マンセル氏は以下のように述べた。
「ダーウィン空襲では多くの人々が家族を失い、また玄関先で戦争の
恐ろしさ を目の当たりにするという体験をした。
同空襲は真珠湾攻撃より大きな被害が出たという人がいるが、
このことはもっと認識されるべきだ」。
ソース(オーストラリアニュース):
URLリンク(news.jams.tv)