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石橋湛山は首相になる10年前、第1次吉田内閣で蔵相を務めた。
首相としては一度も国会で演説することなく退陣したが、蔵相として
戦後初の財政演説を行っている。急激なインフレが進行するさなかの1946年夏のことだ
▲インフレ鎮静化にはデフレ政策をとるのが普通だが、石橋蔵相は「いかに財政収支は
均衡を示しても、国内に失業者があふれ、多くの生産要素が遊休状態におかれる
有り様では、これを真の健全財政とは決して称することはできない」とぶった
▲常識論とは逆の積極財政を説いたのだ。演説は官僚に相談せず、前の晩から
徹夜で書き上げた。だから事前の閣議では原稿を示すわけにいかず異例の
口頭説明で済ませてしまったという(田中秀征著「日本リベラルと石橋湛山」)
▲こんな豪胆な大臣にはめったにお目にかかれそうもないが、支える立場の
役人たちは複雑な心境だったに違いない。大蔵官僚はもともと積極財政には
抑制的な習性がある。そこへ、なうての積極財政論者の登壇ときたから、
さぞハラハラしながら聞いたことだろう
▲歴史に残る石橋演説と比べるわけではないが、先の衆院本会議で
中川昭一財務相が行った財政演説は“迷演説”として歴史に名を残すかもしれない。
「歳入」と「歳出」を言い間違えたり、計数を読み違えたミスが約20分間の演説中に
26カ所にものぼった。ただごとではない
▲原稿を用意すれば読み間違える。さりとて、原稿なしで答弁に立てば
「郵政民営化に賛成じゃなかった」(麻生太郎首相)というような不見識発言が
飛び出す。
言葉の重みを忘れた政治家の、尋常ならざる弛緩(しかん)ぶりにはあきれるばかりだ。
ソース(毎日jp):
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