09/02/05 17:30:43 0
日本で韓国のヤクザ映画を見ると、「あんな風に翻訳していたら面白みがなくなるではないか」と思う。
たった一言でも観客に緊張感を与えられるような、さまざまな罵倒のセリフをすべて「この野郎」や
「バカヤロー」と翻訳しているためだ。耳を塞いで日本語の字幕だけ見ると、ソウルの小学校低学年の
子どもたちのケンカよりもレベルが低いように思える。
だが、これは翻訳の問題ではないようだ。裏社会の乱暴な言葉が中心となっているはずの
日本のヤクザ映画を見ても、罵り合いで交わされる言葉は「バカ」や「野郎」といったものより少し強い程度だ。
時折聞こえてくる悪口も「間抜け」「うすのろ」「ろくでなし」「ブタ野郎」程度で、生命を脅かしたり身体的特徴を
からかうような言葉は寡聞にして耳にすることはない。
日本でも「悪態」や「悪口」という単語がある。単語がある限り、それに相当する表現もあることは明らかなのだが、
日本人に尋ねてみても、「バカ」「野郎」程度の言葉しか聞けなかった。韓国語が分かる日本の知人の中には、
「韓国で使われているようなひどい侮蔑語は日本にはない」と断言した人もいる。
もちろん、人間が住んでいる以上、日本にも悪口がないわけではない。日本の伝統的な祭りの中に
「悪態祭り」が存在していることがその証左だ。悪口を言い合い、相手を言い負かした方はその年豊作に恵まれる、
という言い伝えがあることから考えれば、昔からさまざまな悪口が飛び交ってきたことは間違いない。
日本の悪口をまとめた本(『輝ける日本語の悪口』1997年刊)も出版されている。
だが、これらの悪口を文化的な空間はもとより、日常の生活空間でもなかなか聞く機会がないというのが、
韓国と違うところだ。悪口を避ける文化が日常を変えてしまったのか、悪口を口にしない日常が文化を変えて
しまったのかは分からないが、日本語の悪口はもはや百科事典に載っているだけの死語と化してしまった。
ソース:朝鮮日報
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