08/11/28 21:18:16 0
学生の頃、胆道閉鎖症のコドモの担当になった。
プロレス好きの小学5年生のコドモだった。
担当といっても、10年以上前の平和な頃の医学生だから、ただ一緒に将棋を
やったり体調のいい時(あまり黄色くない時=TB10以下だったら元気だった)
はプロレスごっこをしたりして、2週間過ごしていた。
違う科に移ってからも、自分が読み終わった週プロをたまに持っていったりしていた。
おうちの人は、田舎の人だけどみなとても感じのいい人達で、
とてもその子を愛していた。
たまに遊びに行く学生に、本来はコドモのためであったろうお見舞いのお菓子を
気前よく振舞ってくれていた。
でも熱発が数ヶ月続いて、だんだん元気がなくなっていった。
学生の自分は、その辛そうな様子を見ることが耐えられなくて、
だんだん足が遠のいていった。
そのうち、教授が移植のムンテラをしたとその時回っている学生に聞いた。
掛かるであろう費用、行くまでの手順、医療スタッフは自腹で付き添うこと・・・。
10年以上前の話だから、まだ海外での移植も珍しくて、
募金を募ればかなり集まることが予想された。
少しして、移植の話をお父さんが断ったことを知った。
「先生のお話は大変ありがたいです。でも、自分の子供を助けるために
他所様のお金を頂く訳にはいきません。」
そう教授に言ったと、後から聞いた。
移植の募金の話を見聞きするたびに、あのコドモのことを思い出す。