08/11/10 14:58:39 0
和田は司会を務めるTBS「アッコにおまかせ!」(日曜前11・45)の冒頭から約12分にわたり、
筑紫さんを悼んだ。喪服姿で神妙な表情。「わたしはわたしなりの追悼をしたい」と、目に涙を
ためながら「名字が“ちくし”か“つくし”か分からなかったから“てっちゃん”と呼ばせてもらっていた。
本当に頭の良い方で、大統領が来ても(通訳なしで)英語でインタビューしていました」などを語った。
「もう時効だと思いますから言います。ご遺族にもお伝えしました」と断った上で、デビュー当時の
10代後半に、個人的な悩みを相談した時の秘話も紹介。当時未成年の和田がたばこを吸っていると、
筑紫さんは「いいよ、オレ見えてないよ」と笑い、見てないフリをしたという。
また、1週間前に「闘病で暇やろうからマージャンやろう」と誘いの電話をかけようと思っていたという。
「闘病長くて金がないから負けても(お金が)払われへんな、と言おうと思っていたのに…」と言葉を
詰まらせた。
筑紫さんは「NEWS23」の番組宣伝のため、89年9月17日に「アッコ…」に出演。この時の模様や
5年前の和田の芸能生活35周年で「長い付き合いだけど、ほとんど酒がからんでいる」などとコメント
した映像が追悼で流された。
和田の発言に対し、慌てて同局の安東弘樹アナウンサー(41)が未成年の喫煙と賭け麻雀はやっては
いけないと付け加える場面もあった。
URLリンク(www.sponichi.co.jp)