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≪教育講習を暴力で妨害≫
岡本泰良書記長はじめ日教組は中山氏を批判する前に、まず自ら犯した半世紀の過ちを
反省し、謝罪すべきである。黙っていれば、言いたい放題。筆者は歴史の生き証人として、
中山氏が言わなかった2つの事例をあえて証言し、日教組の反省と総括、自己批判を
強く求める。
第1は、日教組が文部省の道徳教育に暴力で反対した事実である。
昭和33年、全国7つのブロック別に校長・教頭を対象にした「道徳教育講習」が実施されたが、
当時の小林武委員長率いる日教組は数千人を動員して実力妨害した。全国7番目、
九州地区の別府道徳教育講習には、全国を転戦してきた日教組武闘派2000人が
大分県職組、大分全学連と組んで、デモや反対集会を展開した。会場旅館での座り込み、
校長・教頭の参加実力阻止と、別府に騒擾(そうじょう)状態をもたらした。
当時大分県警1300人の警備部隊を指揮したのは、筆者である。
その渦中で、W巡査部長が日教組の闘争本部に監禁される事件が起きた。
筆者は部下のU警備部長らを伴い、警察官の即時解放を求めて、制服で交渉に赴いた。
すると、闘争本部では、筆者らを武装解除して人質に、と騒ぎ出すしまつだ。
筆者は腕時計をみながら「県警の機動隊には、30分たってわれわれが帰らなければ、
突入し、全員検挙せよと命じてある。その時は二宮武夫県議(故人・のち社会党代議士)、
貴方に私が手錠をかける」と告げた。間もなくW巡査部長は解放された。
≪警官の子を立たせる体罰≫
第2は、当時警視庁警備課長だった筆者の息子が世田谷区立小学校で日教組闘士の
女性教師Sから、警察官の子というだけの理由で、長時間居残り、立たされるという体罰を
受けた事件だ。この教師は授業中、「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」と命じた。
数人がオドオドしながら立つと、クラス全員に「この子たちのお父さんは、ベトナムで戦争し、
学生を警棒でなぐっている悪い人たちです」といい、「立っていなさい」と理不尽にも放課後、
夕方まで立たせていた。
帰宅した息子からこれを聞き激怒した筆者はN校長に抗議の電話をかけた。
ところが校長は「相手は日教組、争わない方がよい」と応えた。
筆者が「公立小学校で親の職業による差別・いじめ教育と、罪のない子供に『立たせる』
という体罰について教育委員会に提訴する」と迫ると、校長は当の教師を拙宅によこした。
そして彼女は日教組を盾に、「組織をあげて警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いた。
筆者が「私は一個人の父兄として貴方をクビにするまで闘う」というと、女性教師は突然、
床に土下座して「クビになると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と、
泣訴哀願したのだ。
また、京都では警察官の子は勉強ができても成績は「オール3」だったという事実もある。
自虐史観の日教組は、日本のアジア侵略について、やった方は忘れても、やられた方は
忘れないと言っている。同様に子供たちも忘れていない。日教組は、何の罪もないのに
理不尽に心を傷つけられた警察官、自衛官の子供たちに謝ってから、ものを言うべし。
(さっさ あつゆき、初代内閣安全保障室長)
イザ!
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