09/08/17 07:17:59
参考さんお久しぶりです。
>>202の冒頭は私の考えの中でもなかなか伝わりにくい部分なんですよね。
クラシックそれ自体を大して知ってるわけではないんですけど、
古典だの何だのっていう既存のヒエラルキーや権威なんて無視して、
どんなジャンルに属する作品でも、それ自体を虚心坦懐に味わうべきっていうのは当然の正論ですし、
人肉さんやみ~さん達が再三言ってきたことでもあるし、私自身ももちろんソコには同意なんです。
「ひたすら○○に意識を集中して、そこに沸き起こる感覚を味わう」
コレって、音楽にも食にも何にでも通じる真理なんでしょうけど、
私自身の実感としても理屈からしても、やっぱり歴史とか普遍性って、
そのジャンルの深みとの相関が確かにあると思うんですよね。
長い試行錯誤の歴史を経て、広範な個性や才能を備えた人間が参画して磨き上げられた文化領域って、
一歩踏み込んだ瞬間、先入観とかでなしに、うわって圧倒されるような感覚があるんですよ。
時間の試練というか、淘汰圧がまず違いますし、ソコに関わる人間に求められる感覚的な識別力の水準も高い。
だって現に>>116を聴き比べてみたって、どれも同じとしか感じない人間なんてクラシック門外漢ならゴマンといますよ。
私はなぜか辛うじてそれぞれ個性があるんだっていうくらいには分かりましたけど、
本当に深い部分を味わうとなると、それなりに感覚を培っていく下準備が絶対必要なんだって思いますし。
お酒なら焼酎や日本酒に対してワインはやっぱりコワイです。
同じ味覚っていう点では、別の食文化の中で多少なりとも身に付けた感覚を応用はできるんでしょうけど、
瓶差が云々とか、ブドウの栽培法に月の満ち欠けやルドルフ・シュタイナーの半ばオカルト的な思想を反映させたりっていう、
そこまでの拘りのうえに成り立ってるお酒っていうのは、
直感的に味の違いは分かっても、まだ真価を味わい尽くしたとは思えないんですよね。
もっともっと造詣を深めて分かるようになれば、もっとそれを深く味わえるのにっていう、
でも偏った深め方しちゃうとなかなか修正が難しかったりもするので、私はガイドさんを選ぶ眼こそ大切だと思うわけです。