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21 名前: 立花隆 投稿日: 2000/01/23(日) 18:56
>14~19
①受験勉強に偏った現在の教育体制に対しては、批判は多いです。暗記・詰め
込み中心、得点のための技術偏重、個性や創造力を奪う、等々。
また、包容力・決断力など指導者に必要な能力が受験勉強では培われないと指摘
されます。さらに試験では、多様な才能のごく一部しか見ていないとも言われる。
これらは大筋において正しいと思います。
受験の弊害は「知的活動」という狭い範囲で考えても、受験中心主義には大きな
バイアスがあり、まず「問題を探す能力」がなおざりにされます。試験問題には
必ず答えがある。しかもそれは比較的単純できれいな形をしている。しかし、
現実世界の問題には答えがないものがある。学者になると「問題を探す能力」が
必要なのです。また、「何が重要か」を見抜く能力も、試験では直接には問われません。
入学試験では範囲を逸脱した問題は出題されない。そして、受験では時間制約内に
答えを出すことが絶対条件である。そのため、即答能力が要求される。
しかし、未知の問題に対処するとき、すばしこさは時として弊害となる。
このように考えても、「知的活動」という狭い範囲においても、受験戦争に
勝ち抜いた者が、必要な能力をもってるとは限らないのです。
22 名前: 立花隆 投稿日: 2000/01/23(日) 18:56
②受験体制のいまひとつの弊害は、教育システムが乱されることです。
現在の受験体制では、多くの地域で中学入試が重要なポイントになっている。
また、このエントリーポイントもますます低年齢化している。
しかし、小学生(あるいはそれ以下の児童)では将来について具体的な目標や
意欲を持つのは困難ではないかと思う。そこでは親の半ば強制的な教育方針に
支配されてしまう。
23 名前: 立花隆 投稿日: 2000/01/23(日) 18:57
③学校教育の問題は、受験体制だけでなく、社会の要請にあわないカリキュラムも
問題だと思う。東大入試を例にとっても、はたして古文や漢文を入試で課す
必要があるかどうかも疑問に感じる。古文の場合、文法があまり論理的では無く
しかも時代によってかなり違うので思考力の訓練にならないでしょう。漢文を
返り点をつけて訓読するのは日本独自の方法なので、現代の中国人との
コミュニケーションに役立たない。むしろ、これらは教養として鑑賞することを
勧めたい。学歴万能主義が批判される。しかし、問題の根幹は労働市場の閉鎖性に
あるでしょう。だから、学歴社会を打破しようとすれば、労働市場を流動化させな
ければならない。こうなってこそ、さまざまな才能が評価される社会になるのでは
ないでしょうか。
24 名前: 立花隆 投稿日: 2000/01/23(日) 18:58
④最後に述べたいのですが、親の所得や社会的地位、本人の容姿や体力など
勉強しても克服できない問題がある。しかし、社会活動の多くの分野で勉強の
成果はこれらよりもずっと重要な地位を占めている。しかも、勉強において、
うまれつきの能力は決定的な要素ではない。学歴社会や受験体制を批判する前に
まずこのことを認識して欲しいと思う。
私の周りには非常に高い能力をもちながら経済的な理由によって大学進学を断念
せざるをえなかった人がいる。だから、客観的な条件に恵まれながら、能力を
理由に勉強しない生徒の言い訳は認めたくない。大学に入ったとたんに勉強を
放棄する学生には、せっかく与えられた貴重なチャンスを無駄にするな、と
忠告したい気持ちです。