10/03/21 10:49:57
―行詰り……実はこの文学上のデッド・エンドといふくせものに私は小説をかきはじめたときから始終頭を
ぶつけてゐたやうなわけで、その為に私の作品にはどこかに必らずデカダンスがひそむのですが、私は今度の
行詰りを自分では別に絶望的とも思つてをりません。いまの心境は、書けなくなつたらかけなくてもよい
(これはまあ一概にヤケッパチからでもないんですが)といふところ。しかし貴下のいはれる素朴さは実は
私のたつた一つの切ない宿願です。それを実現する手段として私は戦争や兵隊を考へてゐます。しかし果して
兵隊に行つて万葉的素朴さを得られるものか、この点は化学方程式のやうなわけにはいきますまいし、今のところ
永遠に疑問なのです。それにしても貴下の御忠告と御心やりは今の私には悲しいほど身にしみます。妙なたとへですが、
さんざん不埒なことをした不良少年が、物わかりのよい先輩にさとされるやうな気持とも申せませう。
文学といふ仕事、これは矢張、つらい死に身の仕事ですね。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月11日、東文彦への書簡より
51:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:50:21
ニイチェについて、お陰さまでいろいろ新しいことを知りました。実はツァラトゥストラの登張竹風の跋文の外、
私にはニイチェに関する智識がございませんでした。ツァラトゥストラのあの超人の寂寥あれを私は平安朝の
女流たちにも感ずるのです。「古今の季節」といふエッセイのなかでその荒涼を語つたことがありますが、
ニイチェがあれら女人の深い寂寥にふれてゐたらどう思つたことでせう。
ニイチェの愛した東方ではなく、むしろニイチェ自身の苦しい影をみはしなかつたかとさへ思ひます。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月11日、東文彦への書簡より
52:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:50:48
「世々に残さん」をかく用意に「平家物語」を何遍も繰つてゐますが、川路柳虹氏も名文だとほめてゐられる
あの文章、又あのむしろ宇宙的な末尾の哀切さ、あれを一篇の小説としてみてみると、大原の大団円は、私には
ラディゲのドルヂェル伯の大団円などよりこのごろではずつと身近に感じられます。
無常といふ思想は印度から来たものでもそれを文学の極致にまで詩の極致にまで高めたのは日本人の営為ですね。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月11日、東文彦への書簡より
53:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:51:17
ペルシャ人の、酒と逸楽の享楽主義は、おなじ享楽主義でも「トリマルキオーの饗宴」にみるやうな羅馬の
それとはちがひ、後者が機智と皮肉と退廃とのあらはれでしかないのに、前者には東洋的な深い瞑想がみられます。
前者は月夜のおもむき、後者はまひるのコロッセウムを思ひ出させます。
体骼なぞもずいぶんこの二民族の間にはへだゝりがあつたことでせう。
それにしても西洋人の享楽主義のえげつなさは、支那人はともかく、とても日本人の肌にはあひませんね。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和16年7月10日、東文彦への書簡より
54:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:51:45
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありませう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもつてゐますので、一しほの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、
ニイチェのやうに、愚人の海に傷ついた人でありませう。英雄の悲劇の典型ともいふべきものがみられるやうに
おもひました。かつて世界の悲劇であつたのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。
スカラ座もこはれたやうですね。米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦ふべきでありませう。
俗な精神が世界を蔽(おお)うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらひ、さげすみ、蹴とばした
気持がわかります。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年8月20日、東文彦への書簡より
55:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:54:09
―国家儀礼と申せば、この間新(日)響へゆきましたら、たゞ戦歿勇士に祈念といへばよいものを、
ラウド・スピーカアが、やれ「聖戦完遂の前に一億一心の誓を示して」どうのこうのと御託宣をならべるので、
ヒヤリとしたところへ、「祈念」といふ号令、トタンにオーケストラが「海ゆかば」を演奏、―まるで
浅草あたりの場末の芝居小屋の時局便乗劇そのまゝにて、冒涜も甚だしく、憤懣にたへませんでした。
国家儀礼の強要は、結局、儀式いや祭事といふものへの伝統的な日本固有の感覚をズタズタにふみにじり、
本末を顛倒し、挙句の果ては国家精神を型式化する謀略としか思へません。主旨がよい、となればテもなく
是認されるこの頃のゆき方、これは芸術にとつてもつとも危険なことではありますまいか。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年9月25日、徳川義恭への書簡より
56:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:54:37
今度の学制改革で来年か、さ来年、私も兵隊になるでせうが、それまで、日本の文学のために戦ひぬかねば
ならぬことが沢山あります。
去年の戦果に、国外国内もうこれで大丈夫と皆が思つてゐた時、学校へ講演に来られた保田與重郎氏は、
これからが大事、これからが一番危険な時期だと云はれましたが、今にしてしみじみそれがわかります。
文学を護るとは、護国の大業です。文学者大会だなんだ、時局文学生産文学だ、と文学者がウロウロ・ソハソハ、
鼠のやうにうろついてゐる時ではありません。この際、貴方下の御決心をうかゞひ、大へんうれしうございました。
たゞ、かういふ言葉の意味もお弁へ下さい。鹿子木博士の言葉、「今日大切なことは、億兆一心といふ事であり
総親和といふ事ではない。陛下が詔書の中でお示しあそばされてゐる億兆一心とは、億兆一心とは、億兆の者が
一つの心、国体の精神によつて一つになる事也」(ラウド・スピーカアのお題目も亦、億兆一心といふことばを
形式化し、冒涜するものでせう)。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年9月25日、徳川義恭への書簡より
57:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:57:37
「東健兄を哭す」
十月八日の宵、秋雨にまじる虫のねのあはれにきこえるのに耳をすましてゐると、階下で電話が鳴つてゐる。
家のものがあたふたと梯子段をあがつてくる気配、なにがしにこちらもせきこんで、どこから?と声をかけると
「東さんが……お亡くなりに」「えッ」私は浮かした腰を思はず前へのめらせて、後は夢中で階段を駆け下り
電話にしがみついた。その電話で何をうかがひ、何をお答へしたか、皆目おぼえてゐない。
よみ路の方となられては、急いても甲斐ないものを見境なく、仕度もそこそこに雨の戸外へ出た。
渋谷駅までの暗い夜道をあるいてゆく時、私の頭は痺れたやうに、また何ものかに憑かれたやうに、ひたすらに
足をはやめさせるばかりであつた。さて何処へ、何をしに―さうした問は、ただ一つのおそろしい塊のやうになつて、
有無をいはせず私の心をおさへつけた。あらゆる心のはたらきを痴呆のやうに失はせてゐた。
平岡公威(三島由紀夫)
18歳の弔辞
58:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:58:00
「東健兄を哭す」
(中略)
兄の御寿(みいのち)はみじかかつた。おのが与へられたる寿命を天職に対して、兄ほどに誠実であり潔癖であり
至純であつた人を寡聞にして私は知らない。私は兄から、文学といふもののもつ雄々しさを教へられたのである。
文学は兄にとつてあるひは最後のものではなかつたかもしれぬ。しかし文学をとほしてする生き方が、やがて
最高の生き方たり得るといふ信仰を、身を以て示された兄の如きに親炙することによつて、わがゆく道の
さきざきに常にかがやく導きの火をもちうる倖せが、こよなく切に思はれるこの大御代にあつて、唯一の
謝すべき人を失ふとは。……兄は病床にありながら、戦に処する心構においては、これまた五体の健全な人間の、
以て範とするに足るものであつた。幾度かわれわれの、あるときなお先走りな、あるときは遅きに失した足取りは、
却つて病床の兄の決してあやまたない足取りのまへに、恥かしい思ひをしたのである。
せめて勝利の日までの御寿をとまづ私はそれを惜しんだ。
平岡公威(三島由紀夫)
18歳の弔辞
59:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:58:47
「東健兄を哭す」
(中略)
文学は兄にとつて禊であり道場であつた。文学のなかでは一字一句の泣き言も愚痴も、いや病苦の片鱗だにも
示されなかつた。平生の御手紙には尚更のことであつた。
そこに私はニイチェ風な高い悲しみを思ひゑがいたのであつたが、兄、神となりましし日、私は、つねに完全なる
母君であられ、今世に二なき悲しみにつきおとされになつた御母堂から、けつして愚痴を言はれなかつた四年間の
まれまれに、余人にとつてもおそらく肺腑をゑぐるものがあつたであらうそこはかとない御呟きを伝へ伺つて、
ふともらされたその御呟き―かうして治るのもわからずに文学をやつてゐるのは辛いなあ(誤伝なれば謹んで
改めまゐらせん)―といふ一句を、なにかたとしへもない真実が岩間をもれる泉のやうにのぞいたすがたと覚え、
かつはかく守られねばならぬたをやかさが兄の奥処にあり、守られたればこそ久遠に至純であつたその真実を思つて、
文人の志の毅さとありがたさも今更に思ひ合はされ、御母堂の御心事に想到し奉つても、暗涙をのまずには
ゐられなかつたのである。
平岡公威(三島由紀夫)
18歳の弔辞
60:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/21 10:59:14
「東健兄を哭す」
(中略)
初の御通夜、み榊、燭の火、虫のね、雨のおと、……私は言葉もなかつた。平家物語のあれらのふしぎなほど
美しい文章がしづかに胸に漣を立ててきた。……かくも深い悲しみのなかになほ文学のおもはれるのを、心の
ゆとりとしもいはばいへ。兄だけはあの親しげななつかしい御目つきを、やさしく私に投げて肯いて下さるであらう。
御なきがらを安置まゐらせし御部屋は、ゆかり深くも、足掛け四年前、はじめて兄におめにかかつた御部屋であつた。
そして今か今かとその解かれるのをこひねがつた永い面会謝絶のあとで、まちこがれてゐた再度の対面は、
おなじお部屋の、だが決しておなじになりえぬ神のおもかげに向かつてなされた。
私はなにかひどく自分が老いづいた心地がしてならなかつた。
徳川義恭兄、ありしままなるおん顔ばせを写しまゐらせ給ふ。感にたへざるものあり。
みそなはせ義恭大人が露の筆
道芝の露のゆくへと知らざりし
つねならぬ秋灯とはなかなかに
―昭和十八年十月九日深更―
平岡公威(三島由紀夫)
18歳の弔辞
61:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/22 17:04:17
学習院高等科(旧制高校)は文科乙類(ドイツ語)で、卒業の時は文科の首席だつた。(中略)
首席の賞品として、精工舎製銀メッキ懐中時計を宮内省から頂いた。裏に「御賜」と彫つてある。
又来賓のドイツ大使から乙類の僕に原書の小説を三冊、ナチのハーケン・クロイツが入つてるのをもらつた。
この後で宮中に御礼言上に、当時の院長山梨勝之進海軍大将と共に参内した。霞町の華族会館で謝恩会があり、
これで学習院の卒業行事が終つた。
三島由紀夫
「学習院の卒業式」より
62:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/22 17:46:31
クリス松村
63:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/25 21:17:17
ちびが体鍛えてもロクなことがなかった。
右翼にとっちゃ、いいだんべいだったろうなあ。
64:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/26 00:08:06
私はまづ氏が何に対してあんなに怒つてゐたかがわかつてきた。あれは日本の知識人に対する怒りだつた。
最大の「内部の敵」に対する怒りだつた。
戦時中も現在も日本近代知識人の性格がほとんど不変なのは愕くべきことであり、その怯懦、その冷笑、その客観主義、
その根なし草的な共通心情、その不誠実、その事大主義、その抵抗の身ぶり、その独善、その非行動性、その多弁、
その食言、……それらが戦時における偽善に修飾されたとき、どのような腐敗を放ち、どのように文化の本質を毒したか、
蓮田氏はつぶさに見て、自分の少年のやうな非妥協のやさしさがとらへた文化のために、憤りにかられてゐたのである。
三島由紀夫
「『蓮田善明とその死』序文」より
65:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/31 14:50:00
非小説家の文壇への御戦に、私はいつも胸のすくものを感じてをります。そしてこれほど健康な「自明の理」が
今更力説されねばならぬ日本文壇の頽廃を併せ考へます。貴下の御説がユニークなものであるといふ一事ほど、
日本文学の悲しむべき現状を象徴してゐるものがございませうか。大前提が欠けて小前提ばかり発達してゐる
哀れな国状です。大前提を言ひ出す人は白眼で見られるのです。小前提ばかりバカの一つおぼえでくりかへして
ゐれば身の安全が保てるのです。(中略)
実に美を罵倒し、日本の伝統をののしり、舌を犬のやうにふるはせる芸当を心得、「歯ぎしり」といふ奴を
ハミングの代りに用ひ、それはそれは賑やかで、しかもしんみりした、何が何だかわからない、西洋料理と
中華料理をまぜこぜにしたやうな西欧人文主義的・レアリズム的・サルトル的・ドストエフスキー的・万能薬
ヒューマニズム宣伝的、あやしげなものであります。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より
66:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/31 14:51:35
(中略)今日「群像」十一月号が届き、高見、中島、豊島氏が僕を寄つてたかつてやつつけてゐる大人げない
継子いぢめの光景を見(この速記はもつと猛烈だつたさうですが)、鬱勃たる闘志を湧かせました。(中略)
「生きるために必要な、といふギリギリのところで已(や)むに已まれず生み出される文学」とは何でせうか。
今までの日本の告白小説家のやうな泣きっ面を、―男子としてあるまじき泣きっ面を―小説のなかで存分に
演じてみせることが、即ち「生きるための文学」であるといふ、さういふ滑稽なプリミティーブな考へ方に
僕は耐へられません。僕にはわづかながら遠いサムラヒの血が、それも剛直な水戸ッ子の血が流れてゐます。
僕の文学は、腹を狼に喰ひ裂かれながら声一つあげなかつたといふスパルタの少年に倣ひたいのです。その
少年の莞爾(くわんじ)とした微笑に似た長閑(のどか)な閑文学(とみえるもの)に僕は生命を賭けます。
僕は「狼来(きた)りぬ」といふあの臆病な子供になりたくありません。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より
67:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/31 14:59:38
もつとよい比喩がここにございます。我子の死に会つて数分後に舞台へかけつけなければならなかつた喜劇俳優が、
その時示した絶妙の技、さういふものにこそ僕は憧れるのです。(文学を芝居にたとへるなんて、旧文壇の人に
とつてはおそらく冒涜的な言動でせうが、文学といふものに対する自堕落な信念はそろそろ清算してよい時では
ないでせうか。僕は最後のところ、いつもギリシャ悲劇を考へます。作者が一言の思想の表白もさし控へた
純粋な技術と形式の精神がそこにあります。ギリシャ的単純さが最後の目標です。勿論これは志賀直哉氏の
単純さとは全く別個のものです)。
話をあとに戻りまして、ではその時、その喜劇俳優にとつて、喜劇といふ芸術は何ものでせうか。
逃避でせうか。自嘲でせうか。僕には彼の悲しみの唯一無二の表現形式として喜劇があるのだと考へられます。
彼は悲しみを決して涙としてあらはしてはならなかつたのです。それを笑ひとして示さねばならなかつたのです。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より
68:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/31 15:09:10
文学における永遠不朽な「情痴」の主題、僕はそれをこの「笑ひ」だと考へます。「戯作」と云つても同じこと
でございませう。もちろん僕としてもヒューマン・ドキュメントを書きうるゲエテ的作家の幸福を考へます。
しかしメリメのやうな「自己を語らない作家」の最も不幸な幸福をも考へます。作品の世界に凡(あら)ゆる
「日曜日」を託けて、永遠にウィークデイの累積をしか持たなかつた作家のおそるべき幸福を考へます。それを
高見順氏などは、ウヰークデイの匂ひのしない文学はディレッタンティズムだと仰言るのです。
日曜日は僕にとつて逃避の場所ではありません。そこにこそ僕は生涯を賭け、ギリギリ決着の「生活」を賭けて
ゐるのです。それこそ僕の唯一無二の喜劇の舞台なのです。僕はそこを掃除し、つやぶきんをかけ、花を飾り、
恋人を迎へ、おしやべりをし、……といふ比喩は甚だ皮相的ですが、その日曜日に、僕は自分の悪と不徳と
非情と侮蔑と残忍と犯罪とのあらゆる装ひを期待するのです。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より
69:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/31 15:12:36
あらゆる種類の仮面のなかで、「素顔」といふ仮面を僕はいちばん信用いたしません。
僕はかうして、僕の生にとつて必然的であつた作品からそのあらゆる窮屈な必然性をぬがせてやつて、
くつろがせてやるのです。僕は作家の歯ギシリなどといふものを書斎の外へ洩らすことを好みません。僕の
作品はそれでも尚、僕の本質的な生活だと思はれるのですが……
尤もこんなことは口で言つてもはじまらないことでございます。作品で証明する他はありません。
しかし僕は決してひるみません。負けません。書き続けて、御期待にそむかぬ人間になることをお誓ひします。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より
70:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 11:19:59
にはかにお召しにあづかり三島君よりも早くゆくことになつたゆゑ、たまたま得し一首をば記しのこすに
よきひととよきともとなりひととせを
こころはづみておくりけるかな
蓮田善明
昭和18年8月、召集をうけて戦地へ向かう際に三島由紀夫へ残した訣別の一首
古代の雪を愛でし
君はその身に古代を現じて雲隠れ玉ひしに
われ近代に遺されて空しく
靉靆の雪を慕ひ
その身は漠々たる
塵土に埋れんとす
三島由紀夫
昭和21年11月、蓮田善明への追悼の文
71:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 11:24:36
(´・ω・`)がな
72:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/07 11:18:00
私にとつては、美はいつも後退りをする。かつて在つた、あるひはかつて在るべきであつた姿しか、
私にとつては重要でない。鉄塊は、その微妙な変化に富んだ操作によつて、肉体のうちに失はれかかつてゐた
古典的均衡を蘇らせ、肉体をあるべきであつた姿に押し戻す働らきをした。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
73:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/07 11:18:58
私はかつて、彼自身も英雄と呼ばれてをかしくない肉体的資格を持つた男の口から、英雄主義に対する嘲笑が
ひびくのをきいたことがない。シニシズムは必ず、薄弱な筋肉か過剰な脂肪に関係があり、英雄主義と強大な
ニヒリズムは、鍛へられた筋肉と関係あるのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
74:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/07 11:20:06
私が求めるのは、勝つにせよ、負けるにせよ、戦ひそのものであり、戦はずして敗れることも、ましてや、
戦はずして勝つことも、私の意中にはなかつた。一方では、私は、あらゆる戦ひといふものの、芸術における
虚偽の性質を知悉してゐた。
もしどうしても私が戦ひを欲するなら、芸術においては砦を防衛し、芸術外において攻撃に出なければならぬ。
芸術においてはよき守備兵であり、芸術外においてはよき戦士でなければならぬ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
75:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/07 11:20:55
かつて向う岸にゐたと思はれた人々は、もはや私と同じ岸にゐるやうになつた。
すでに謎はなく、謎は死だけになつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
76:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/07 11:21:54
私の幼時の直感、集団といふものは肉体の原理にちがひないといふ直感は正しかつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
77:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/07 11:22:45
私には地球を取り巻く巨きな巨きな蛇の環が見えはじめた。
すべての対極性を、われとわが尾を嚥(の)みつづけることによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑を
ひびかせてゐる最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
78:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/08 13:02:10
私はそもそも天に属するのか?
さうでなければ何故天は
かくも絶えざる青の注視を私へ投げ
私をいざなひ心もそらに
もつと高くもつと高く
人間的なものよりもはるか高みへ
たえず私をおびき寄せる?
均衡は厳密に考究され
飛翔は合理的に計算され
何一つ狂ほしいものはない筈なのに
何故かくも昇天の欲望は
それ自体が狂気に似てゐるのか?
私を満ち足らはせるものは何一つなく
地上のいかなる新も忽ち倦(あ)かれ
より高くより高くより不安定に
より太陽の光輝に近くおびき寄せられ
何故その理性の光源は私を灼き
何故その理性の光源は私を滅ぼす?
三島由紀夫「イカロス」より
79:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/08 13:02:34
眼下はるか村落や川の迂回は
近くにあるよりもずつと耐へやすく
かくも遠くからならば
人間的なものを愛することもできようと
何故それは弁疏(べんそ)し是認し誘惑したのか?
その愛が目的であつた筈もないのに?
もしさうならば私が
そもそも天に属する筈もない道理なのに?
鳥の自由はかつてねがはず
自然の安逸はかつて思はず
ただ上昇と接近への
不可解な胸苦しさにのみ駆られて来て
空の青のなかに身をひたすのが
有機的な喜びにかくも反し
優越のたのしみからもかくも遠いのに
もつと高くもつと高く
翼の蝋の眩暈と灼熱におもねつたのか?
三島由紀夫「イカロス」より
80:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/08 13:03:05
されば そもそも私は地に属するのか?
さうでなければ何故地は
かくも急速に私の下降を促し
思考も感情もその暇を与へられず
何故かくもあの柔らかなものうい地は
鉄板の一打で私に応へたのか?
私の柔らかさを思ひ知らせるためにのみ
柔らかな大地は鉄と化したのか?
堕落は飛翔よりもはるかに自然で
あの不可解な情熱よりもはるかに自然だと
自然が私に思ひ知らせるために?
空の青は一つの仮想であり
すべてははじめから翼の蝋の
つかのまの灼熱の陶酔のために
私の属する地が仕組み
かつは天がひそかにその企図を助け
私に懲罰を下したのか?
私が私といふものを信ぜず
あるひは私が私といふものを信じすぎ
自分が何に属するかを性急に知りたがり
あるひはすべてを知つたと傲(おご)り
未知へ
あるひは既知へ
いづれも一点の青い表象へ
私が飛び翔たうとした罪の懲罰に?
三島由紀夫「イカロス」より
81:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/15 17:10:50
聞くところによると、例の「風流夢譚」掲載のいきさつについて、中央公論の嶋中社長がその掲載を反対した
にもかかはらず、あたかもぼくが圧力かけて掲載させたやうに伝はつてゐるらしいんです。
これはとんでもない誤解で、推薦した事実さへない。第一、新人の原稿ならいざ知らず、深沢さんといへば
一本立ちの作家ですからね、だれそれの推薦なんてあり得ないぢやないですか。世間ではよく、ある出版社の
背後にはこれこれといふ作家がゐて、その作家の言ふことならきく、といふやうな考へを持つ人がゐるらしいが、
それは“編集権”の存在を知らない者の言ふことで、編集権を侵害しないといふモラルは、ぼく自身いつも
守つてきたはずだ。ただ例外があるとすれば、“文学賞”の審査員になつたときくらゐのものだらう。
そのときだつて、技術顧問的な役割で、作品の芸術的な判断以外の社会的な影響にまでは、タッチしないものだ。
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない―三島由紀夫氏の声明」より
82:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/15 17:13:50
かういふ事情を知つてゐれば、ぼくが「風流夢譚」を掲載するやうに圧力をかけたなんていふことがナンセンス
だといふことがよくわかるはず。しかし、それにもかかはらずぼくの名が使はれたとすれば、それは一部の者が
苦しまぎれの逃げ口上に使つたのではないか。さう思へば使つた者にも同情の余地があるのだが、迷惑うけるのは
こちらだからね。ともかくふりかかつた火の粉ははらひ落としたいといふのが本音だ。
この際、次第に大きくなる風説―新聞雑誌でもそんな書き方をされてゐるんで―の誤解をときたい……。
(談)
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない―三島由紀夫氏の声明」より
83:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 13:20:38
伝播の速い世の中では、今日の独断も、明日の通念になる。あなたがロマンチストと言つて下さつた以上、
明日から私はロマンチストでとほりさうです。いづれにせよ、人がかぶれといふ帽子を、私は喜んでかぶる
つもりです。たとへそれが、あのルイ王がかぶらされたといふ三角帽子であつても。
ただ私の何とも度しがたい欠陥は、自分に関する最高の通念も、最低の通念も、同じやうに面白がること
なのです。これはほとんど私の病気です。おしまひにはいつもかう言ひたくなる。
「何を言つてやがる。俺は実は俺ぢやないんだぞ」これが私の自負の根元であり、創作活動の根源です。そして
これが、あらゆる通念を喜んで受け入れる私の態度の原因なのです。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より
84:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 13:21:04
私は不断の遁走曲であり、しかも、いつも逃げ遅れてゐる者です。子供のころ、学校で集団でイタヅラをすると、
いつも逃げ遅れるのが、私ともう一人Kといふ生徒でした。そこで私とKはつかまつて、先生から、鉢合せの罰を
うけるのでした。こんな痛い刑罰はない。しかしKのオデコにはコブができないのに、私のオデコにだけは
コブができた。これが爾後、私の宿命となつたやうに思はれます。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より
85:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 14:04:08
○偉大な伝統的国家には二つの道しかない。異常な軟弱か異常な尚武か。
それ自身健康無礙(むげ)なる状態は存しない。伝統は野蛮と爛熟の二つを教へる。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年9月16日「戦後語録」より
86:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 14:05:47
○承詔必謹とは深刻なる反省の命令である。戦争熱旺(さか)んなりし国民が一朝にして
平和熱へと転換する為に、自己革命からの身軽な逃避が、この神聖な言葉で言訳されてはならない。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年9月16日「戦後語録」より
87:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 14:09:37
○デモクラシイの一語に心盲ひて、政治家達ははや民衆への阿諛(あゆ)と迎合とに急がしい。
併し真の戦争責任は民衆とその愚昧とにある。源氏物語がその背後にある夥しい蒙昧の民の
群衆に存立の礎をもつやうに、我々の時代の文学もこの伝統的愚民にその大部分を負ふ。
啓蒙以前が文学の故郷である。これら民衆の啓蒙は日本から偉大な古典的文学の創造力を
奪ふにのみ役立つであらう。―しかしさういふことはありえない。私は安心してゐる。
政治家は民衆の戦争責任を弾劾しない。彼らは、泰西人がアジアを怖るゝ如く、民衆をおそれてゐる。
この畏怖に我々の伝統的感情の凡てがある。その意味で我々は古来デモクラチックである。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年9月16日「戦後語録」より
88:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 14:14:18
○日本的非合理の温存のみが、百年後世界文化に貢献するであらう。
○ナチスもデモクラシイも国の伝統的感情の一斑と調和するところあるために取入れられ
又取入れられ得たのであると思ふ。これを超えて、強制的に妥当せしめらるゝ時、
ナチスが禍(わざはひ)ありし如く、デモクラシイも禍あるものとなるであらうと思ふ。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年9月16日「戦後語録」より
89:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 14:16:59
○偏見はなるたけない方がよい。しかしある種の偏見は大へん魅力的なものである。
○芸術家の資質は蝋燭に似てゐる。彼は燃焼によつて自己自身を透明な液体に変容せしめる。
しかしその融けたる蝋が人の住む空気の中に落ちてくると、それは多種多様な形をして
再び蝋として凝化し固形化する。これが詩人の作品である。
即ち詩人の作品は詩人の身を削つて成つたものであり、又その構成分子は詩人の身に等しい。
それは詩人の分身である。しかしながら燃焼によつて変容せしめられたが故に、それは
地上的なる形態を超えて存在する。しかも地上的なる空気によつて冷やされ固められ乍ら。
○人生は夢なれば、妄想はいよいよ美し。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年9月16日「戦後語録」より
90:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 14:37:27
○退屈至極であつた学習院の学友諸君よ。
諸君らに熱情ある友情の共感をもちつゞけることができるほど、僕は健康な人間ではなかつた。
君らがジャズを愛好するのもまだしも我慢できた。君らが一寸も本を読むといふことを
しらないで、殆ど気高くみえるほど無智なことにも我慢できた。
だが僕には我慢ならなかつた。君らと会ふたびに、暗黙の内に強いられたあの馬鹿話の義務を。
つまり君たちが、おそろしく、さうだ慶応年間生れの老人よりも、もつとおそろしく
退屈であつたことを。―戦争が僕と君らを離れるやうに強いた。今では、昔より、僕は
君らを愛することができるだらう。尤も君らが僕の目の前にゐないことを前提としてだ。
―なつかしい「描かれる」一族よ。君たちは君たちの怠惰と、無智と、無批判の故に、
描かれるべく相応に美しくなつてゐる筈だ。僕には「桜の園」の作者となる義務があるだらう。
(君らがゑがかれるために申分なく美しくなつた時代に)
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年9月16日「戦後語録」より
91:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 14:40:31
○流れる目こそ流されない目である。変様にあそぶ目こそ不変を見うべき目である。
わたしはかゞやく変様の一瞬をこの目でとらへた。おお、永遠に遁(に)げよ、そして
永遠にわたしに寄添うてあれ。
○神界がもし完全なものならそれが発展の故にでなく、最初からあつたといふことは注目すべき事実だ。
○どのやうな美しい物語にも慰さめられないとき、生れ出づるものは何であらうか。
それを書いた瞬間に、すべては奇蹟になり、すべては新たにはじめられ、丁度、朝警笛や
荷車や鈴や軋(きし)りやあらゆる騒音が活々とゆすぶれだし、約束のやうに辷(すべ)り出す、
さういふ物語を私は書きたい。そしてそのやうな作品の成立がもはや恵まれずとも怨まない。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年9月16日「戦後語録」より