09/12/04 09:44:20
小学校時代の思い出は何といっても「本土復帰」を体験したこと。
小学校3年生だった1972年5月15日に沖縄は本土に復帰したが、それまでの沖縄の通貨は「円」ではなく「ドル」で、交通法規も日本式の「人は右、車は左」ではなく、沖縄では「人は左、車は右」だった。
それと、沖縄から本土に行くにはパスポート(渡航証明書)が必要で、そのパスポートの国籍欄には「日本」ではなく「琉球」と記載されていたことを今でもはっきりと覚えている。
自分が通っていた学校には「個人授業」や「学園天国」などで人気を博したフィンガー5のメンバーも通っていて、彼らが本土デビューを果たすとは当時、誰も想像していなかった。
本土復帰前の沖縄では地元の琉球放送(RBC)が「オキコわんわんチャンネル」という歌番組が人気で、その歌番組に南沙織(シンシア)がレギュラー出演していたこともよく覚えている。
南沙織は本名の「内間明美」という名前で出演していて、当時はアメリカンスクールに通う中学生。
ヒデとロザンナの沖縄公演の際に、そのヒデとロザンナのマネージャーに見出されたのが本土デビューのきっかけだったと言われている。
あのころ、お茶の間の人気者だった内間明美(南沙織)が本土デビューを果たし、しかもレコード大賞の新人賞を受賞したりNHKの紅白歌合戦に出場するとはまったく想像できなかった。
沖縄県民の多くも「まさか、あの娘が!」という驚きで「17才」を歌う内間明美(南沙織)をテレビで見ていたことだろう。