10/04/01 21:42:34
被安打1の20奪三振で、3試合連続の完封。
続く準決勝の広島商戦でも11三振を奪い好投したが、5回に、相手投手の佃にポテンヒットを打たれ、失点を喫した。このときの失点が、2年秋の新チーム結成以来、練習試合、公式戦を含め、初の失点だったというから恐れ入る。
この大会で、江川は60奪三振を記録したが、これはいまだに破られない選抜大会記録である。
江川見たさに、日本中の高校野球ファンがテレビにかじりつき、江川の投じる剛速球に酔いしれ、相手打者がバットに当てるだけで甲子園球場がどよめき、異様なムードを醸し出していた。
696:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/02 09:37:19
解かってる人は解かってるね。
前にも後にもあんなピッチャー居なかった。
本当の怪物だったね。
697:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/02 12:08:37
いくらなんと言っても
入団時のゴタゴタがあるので 江川・桑田はいまだに嫌い。
それを美化してヒーローにした読売とそれにヨイショするマスコミども。
698:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/03 11:30:00
(;´ω`)
699:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/03 15:03:45
大昔にはもてはやされた江川の球も
今の球児には打ち頃のただの軽い球だろうな。
時代の流れは厳しい・・・・。
700:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/03 21:59:15
今村 猛(清峰)
183cm83kg 右右 MAX152キロ カーブ・スライダー・カット
最速152㌔の直球とスライダー。44回を自責1、4完投3完封の活躍で選抜優勝。
長崎県佐世保市出身。
小学3年から野球をはじめ中学2年時に全国大会出場。
ポジションは主に遊撃手、投手。2009年ドラフト1位指名で広島カープ入団
清峰高校入学後投手に専念し1年夏からベンチ入り。秋には140キロを突破。
2年夏に甲子園出場、能力の高さの片鱗は見せたが安定感を欠き2回戦では
東邦に競り負け。この経験を糧に勝てる投手目指し投球スタイルに変化。
秋の練習試合では最多で22奪三振などもあったがあくまで勝利、コントロール重視。
九州大会では4試合全てに完投(2完封)し防御率0.49、抜群の安定感で優勝。
神宮大会では体調を崩し乱調で初戦敗退となったがこの一試合を除いた秋の公式戦
防御率は0.53と新スタイルで見事に結果を残した。
3年春の選抜では自己最速148キロを記録、勝負どころで力を入れ威力を増す直球と
切れ味鋭い縦のスライダー、カットを武器に要所を締める投球。
派手なパフォーマンスも見せる菊池とは対照的でまた違った魅力、表情を変えず淡々と
相手打者の力、試合状況を見ながらペース配分。
大差となった箕島戦こそ8回で降板したがその他の試合は全て投げきり4完投。3完封。
失点わずかに1で防御率0.20。
5試合44回、見事に試合を作り上げ清峰高初となる優勝。
183cm83kgの恵まれた体格に打者として本塁打も放った強い体、要所で見せた威力ある
直球、フォームもまだ完成には至っておらず今後の更なる成長にも期待感。
5月には招待試合で最速152㌔を記録。
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県内予選レベルでしか記録を作れなかった江川なんかより
甲子園本大会で0.20の驚異的防御率を叩き出した
今村のほうが格段に上だな。
妄想・捏造で尾びれのつきまくった都市伝説球速の江川と違い
実計測での152kmの伸びる球も大きな武器。
しかも選抜大会を観に来たプロのスカウトからも
「相手を見下して投げている」
「普段は完全に手抜きで投げている」
「ランナーが出るまで本気で投げていない」
と手抜き癖を指摘される中での脅威の防御率「0.20」
しかも球児の全体レベルの格段に違う現代での甲子園本大会。
今村が1973年当時の木製バット・フィジカルでも圧倒的に現代に劣るなんちゃって球児達を相手にしたら
一体どれだけの成績を残したのか、考えるだけで恐ろしい。
701:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 09:47:40
その時代その時代での、圧倒的力があるかどうか。
江川も今村も松坂も見てるけど、投手としての存在感の圧倒的な部分は、江川の方がはるかに上。
江川の場合は、防御率ではなくて、バットに当たるかどうか。
防御率は、討ち取るピッチングでバックが堅守であれば良くなる。
江川の場合、バックはざるだったから、バットに当たられては困る訳だな。
江川の後の、アマチュアの奪三振マシーンと言えば、ハワイ大学のデレク・タツノが有名だが、その頃から、スピードガンに信頼性が持てるようになってきた。
タツノで、152~155キロ。江川の方が、速くは見えたのと、ホップの度合いは数段上だったね。
今村とかは、普通のいいピッチャー。
江川、タツノは怪物奪三振マシーン。
区別が必要。
702:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 13:21:35
その時代その時代での、高校球児の全体レベルがどうか。
江川の時代も今村の時代も松坂の時代見てるけど、選手としてのパワー、技術的な部分は、近年の方がはるかに上。
江川の場合は、防御率ではなくて、相手チームのレベルがどうか。
非力でへっぴり腰の昔のレベルであれば140km以上ははなから厳しい。
江川の場合、周囲の投手が今でいう草野球レベル、バッターは140kmそこそこも異次元レベルに見える訳だな。。
江川の時代の、アマチュアの投手レベルと言えば、お辞儀する真っ直ぐとションベンカーブのみ。
全国平均球速、120~125キロ。相対的に江川の方が、速くは見えたのと、相対的なホップの度合いは数段上だったね。
今村とかは、現代球児を手抜きでも普通に抑え込むいいピッチャー。
江川はあくまで昭和48年当時の怪物くん。
区別が必要。
703:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 13:38:05
昔と今を比べると必ずこんな展開になるな。
江川の場合、周りが証言している通り、一番早かったのは、高校2年の時。大学の時に劣化しまくって、プロ入り後に、やっと、高校時代の球速に近づいた程度。
プロ入り後は、152くらいが最高だったけど、江川が本気で投げ込めば、すでに、力がかなり落ちていた時の、オールスターの連続三振でも解かる様に、別次元。
銚子商業から、中日に入った土屋がプロ入り後すぐの、球速が142位だったから、誰がどう見ても、江川の方が10キロは最低でも速かったね。
それと、昔と今と比べると、今は、野球の底辺は極めて狭くなってる。江川の頃は、誰でも、キャッチボール位はできたけど、今は、普通の子供は、キャッチボールすらまともに出来ない。
704:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 14:03:09
オールスターは84のみが本気であとは本気じゃなかったと(笑笑)
江川バカの話って必ずこんな展開になるな。
705:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 14:16:27
そうじゃね。
他のピッチャーじゃ狙っても出来ないんだし。
706:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 14:26:21
五十路に片足突っ込んでる親父だけれどどちらかと言えば>>702の方に同意は出来るかも。
野球というスポーツは陸上競技と違って相対的なものだから。
子供の頃は亡き父親に無理やり連れられて毎年のように甲子園大会を見たし
高等で野球部に入ってからは幾多の速球派といわれる投手と対戦してきたけど
自分としては小学二年の頃バッティングセンターで初めて体験した中速(今でいう115キロくらい)がこの世のものと思えないほど速く感じた。
今でもそれを世界一の豪速球だと感じているほど。
あの時の球を「今のスピードガンに換算すると155キロです」と言われていても何の疑いも持たなかったと思うよ。
もちろん江川の残したあの時のインパクトが物凄かったことには同感だけど。
707:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 15:38:04
おまんちょ
708:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 16:49:07
江川って おまんこ顔
709:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 19:11:34
自分も五十路に今年でなるんだけど、実際に、プロとか関係者が江川とか山口とか言っている訳だしね。
そりゃ、金田とか沢村とか言い出したら眉唾だ。
710:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 19:14:39
今時江川とか山口とか言ってる関係者なんかほとんどいねぇwww
711:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/06 20:49:59
オールタイムランキングで江川やら山口を
トップ近辺に持ってくる専門家なんか見たことないな
712:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/07 23:03:29
怪物・江川卓伝説
江川の作新学院時代の成績は「怪物」と呼ばれるにふさわしいものである。
ストレートも高校時代が最も速かったといわれている。
特に素晴らしい成績を残しているのは2年生夏の大会からで、まず栃木県大会初戦の大田原を相手にノーヒットノーランを達成、続く2回戦の石橋戦は完全試合、準々決勝の栃木工戦もノーヒットノーラン(3試合連続ノーヒットノーラン)。
そして驚くことに準決勝の小山戦でも延長10回2死までノーヒットノーランを続け、なんと36イニング連続無安打を記録。
2年秋の県大会では5試合をすべて完封勝ちで優勝し関東大会に出場。関東大会では初戦の東京農大二戦で10奪三振(6回)、準決勝の銚子商戦では1安打完封の20奪三振、そして決勝の横浜戦では4安打完封の16奪三振。
この決勝で対戦した横浜は翌年の選抜優勝校だけに、江川がいかにずば抜けていたかがよく分かる。
3年春の選抜大会1回戦では、秋季近畿大会優勝校の北陽を19奪三振で完封。2回戦の小倉南戦では7回10奪三振で無失点勝利。
そして準々決勝の秋季四国大会優勝校・今治西戦では20奪三振の快投で完封。
準決勝の広島商戦の5回裏、2死二塁から佃のポテンヒットで1点を奪われた後、8回裏に2死一、二塁からダブルスチールを決められ、捕手の三塁悪送球で2点目を取られ敗退したものの、この試合でも11奪三振。
この試合での失点が前年の秋の新チーム結成から練習試合、公式試合含めて初の失点だったというから恐れ入る(139イニング連続無失点で15試合分に相当)。
結局、この大会で奪った三振は60で、この記録はいまだに破られない選抜大会記録である。
3年夏の県予選では5試合中3試合がノーヒットノーランで、県大会5試合の被安打がわずか2(オール完封)という超人的快投で甲子園に出場。
1回戦の柳川商戦では延長15回を投げ23奪三振で勝利。2回戦の銚子商戦12回裏押し出し四球で敗退。
その2カ月後、千葉で行われた国体では、この年の選抜で敗れた優勝校の広島商と初戦で対戦。
雪辱に燃える江川の剛速球は初回から唸りをあげ、終わってみれば2安打完封の17奪三振と力でねじふせ、1-0の勝利。
準々決勝の今治西戦では登板しなかったが、準決勝では夏の準優勝校・静岡をこれまた被安打4、11奪三振で完封。
決勝では銚子商に敗れたものの、この試合でも被安打2と好投した。
高校時代の成績は、完全試合2試合、ノーヒットノーラン10回。
36イニング連続無安打、139イニング連続無失点(高校2年秋~高校3年春まで)、145イニング連続無失点(高校3年春~夏まで)。
作新学院在学中の公式戦全投球数回数は354回、被安打103、四死球90、奪三振525、失点20、自責点16、公式戦の通算防御率は0・46となっている。
驚くのは354イニング投げて奪三振が525もあるということで、一試合平均奪三振数は13・3。つまり高校時代の江川は公式戦で打者2人に対して1個の三振を奪っていたということ。
また、39・3試合を投げ、被安打が103と非常に少なく、一試合平均で2・6本しかヒットを許していない計算になる。
39試合に投げて12試合がノーヒットノーラン試合(完全試合2試合を含む)だから、3試合に1試合弱の割合でノーヒットノーランを達成した計算にもなる。
ノーヒットノーラン達成率が3割などというのは江川にしかできない超人的な大記録である。
公式戦通算防御率0・46という数字も驚異的であり、恐らく江川が残した上記の記録は今後も永久に破られまい。
伝説の怪物投手・江川卓こそ高校野球史上最高の投手である。
713:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/08 02:33:50
あ
714:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/08 02:50:38
カープの津田を超える人格者、投手はいないと思う。
715:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/08 12:43:47
>>706
同感。自分も元近鉄で当時静岡高の赤堀と対戦したことあるが
県内予選レベルの球しか見たこと無かった自分にとって
赤堀のあの球は速すぎて全然見えなかった。
チームメイトも同じようなこと言ってたし。
世が世なら史上最強投手などと言われていただろう。
要は周囲の平均レベルや自分の経験とのズレですな。