10/06/05 17:08:20 9ypirbn8
m9(^Д^)プギャー
501:大人の名無しさん
10/06/07 00:31:10 e2GGqcge
神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。しかし神は真理自体でもなく、
正義自体でもなく、神自体ですらないのです。それは管理人にすぎず、人知と虚無との
継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに
従事します。何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐へないからであるし、一度人間が
『絶対』の想念を心にうかべた上は、世界のすべてのものの相対性とその『絶対』との間の
距離に耐へないからです。遠いところに駐屯する辺境守備兵は、相対性の世界をぼんやりと
絶対へとつなげてくれるやうに思はれるのです。そして彼らの武器と兜も、みんな人間が
稼いで、人間が貢いでやつたものばかりです。
三島由紀夫「美しい星」より
502:大人の名無しさん
10/06/07 00:31:30 e2GGqcge
神への関心のおかげで、人間はなんとか虚無や非在や絶対などに直面しないですんできました。
だから今もなほ、人間は虚無の真相について知るところ少く、虚無のやうな全的破壊の原理は
人間の文化内部には発生しないと妄信してゐる人間主義の愚かな名残で、人知が虚無を
作りだすことなどできないと信じてゐます。
本当にさうでせうか? 虚無とは、二階の階段を一階へ下りようとして、そのまますとんと
深淵へ墜落すること。花瓶へ花を活けようとして、その花を深淵へ投げ込んでしまふこと。
つまり目的を持ち、意志から発した行為が、行為のはじまつた瞬間に、意志は裏切られ、
目的は乗り超へられて、際限なく無意味なもののなかへ顛落すること。要するに、
あたかも自分が望んだがごとく、無意味の中へダイヴすること。あらゆる形の小さな失錯が、
同種の巨大な滅亡の中へ併呑されること。……人間世界では至極ありふれた、よく起る
事例であり、これが虚無の本質なのです。
三島由紀夫「美しい星」より
503:大人の名無しさん
10/06/07 00:31:56 e2GGqcge
科学的技術は、ふしぎなほど正確に、すでに瀰漫してゐた虚無に点火する術を知つてゐます。
科学的技術は人間が考へてゐるほど理性的なものではなく、或る不透明な衝動の抽象化であり、
錬金術以来、人間の夢魔の組織化であり、人間どもが或る望まない怪物の出現を夢みると、
科学的技術は、すでに人間どもがその望まない怪物を望んでゐるといふことを、証明して
みせてくれるのです。そこで、人間をすでにひたひたと浸してゐた虚無に点火される日が
やつてきました。それは気違いじみた真赤な巨大な薔薇の花、人間の栽培した最初の虚無、
つまり水素爆弾だつたのです。
しかし未だに虚無の管理者としての神とその管理責任を信じてゐる人間は、安心して
水爆の釦を押します。十字を切りながら、お祈りをしながら、すつかり自分の責任を免れて、
必ず、釦を押します。
三島由紀夫「美しい星」より
504:大人の名無しさん
10/06/07 00:32:35 e2GGqcge
平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海から漁られた魚であつて、地球へ陸揚げされると
忽ち腐る。
三島由紀夫「美しい星」より
人類はまだまだ時間を征服することはできない。だから人類にとつての平和や自由の観念は、
時間の原理に関はりがあり、その原理によつて縛られてゐる。時間の不可逆性が、
人間どもの平和や自由を極度に困難にしてゐる宿命的要因なのです。
三島由紀夫「美しい星」より
505:大人の名無しさん
10/06/07 13:59:29 ERmp1QXu
なぜ払う?強制連行ではない在日コリアンへの
日本の血税2兆3千億円の無駄遣い
【なんと2兆3000億円!外国人への生活保護をカットしましょう!】
なぜ日本人が納めた税金を日本人ではなく、外国人に使わなくてはいけないのか?
強制連行で来た訳ではない、在日コリアン64万人中46万人が無職で、
その中のほとんどが生活保護を平均毎月17万円も貰っています。
上下水道も基本料金免除。NHKは全額免除。
なんと国民年金も全額免除。
年2兆3000億円もの血税が、反日活動にいそしむ在日の生活保護者に浪費されています。
在日コリアンは、日本人の血税で働かず暮らしているくせに
「差別だ!参政権をよこせ!」と騒ぎ立てます。
民主党は友愛の精神で、在日コリアンの生活保護をカットすれば財政が楽になるでしょう。
ソース民団公式
URLリンク(web.archive.org)
506:大人の名無しさん
10/06/08 10:47:05 WqCXSeQu
私が彼らの想像力に愬(うつた)へようとしたやり方は、破滅の幻を強めて平和の幻と同等にし、
それをつひには鏡像のやうに似通はせ、一方が鏡中の影であれば、一方は必ず現実であると
思はせるところまで、持つて行く方法でした。
空飛ぶ円盤の出現は、人間理性をかきみだすためだつたし、理性を目ざめさせるには
その敵対物の陶酔しかないことを、理性自体に気づかせるのが目的であつた。そして
われわれの云ふ陶酔とは、時間の不可逆性が崩れること、未来の不確実性が崩れること、
すなはち、欲望を持ちえなくなること、―何故なら人間の欲望はすべて時間が原因で
あるから―、これらもろもろの、人間理性の最後の自己否定なのでした。人間の純粋理性とは、
経験を可能にする先天的な認識能力のすべてを云ふのださうで、人間の経験は欲望の、
すなはち時間の原則に従つて動くからです。
私は未開の陶酔を人間どもに教へようとしたのでした。そこでこそ現在が花ひらき、
人間世界はたちどころに光輝を放ち、目前の草の露がただちに宝石に変貌するやうな陶酔を。
三島由紀夫「美しい星」より
507:大人の名無しさん
10/06/08 10:47:24 WqCXSeQu
人間の政治、いつも未来を女の太腿のやうに猥褻にちらつかせ、夢や希望や『よりよいもの』への
餌を、馬の鼻面に人参をぶらさげるやり方でぶらさげておき、未来の暗黒へ向つて人々を
鞭打ちながら、自分は現在の薄明の中に止まらうとするあの政治、……あれをしばらく
陶酔のうちに静止させなくてはいかん。
三島由紀夫「美しい星」より
508:大人の名無しさん
10/06/08 10:47:53 WqCXSeQu
歴史上、政治とは要するに、パンを与へるいろんな方策だつたが、宗教家にまさる政治家の
知恵は、人間はパンだけで生きるものだといふ認識だつた。この認識は甚だ貴重で、
どんなに宗教家たちが喚き立てやうと、人間はこの生物学的認識の上にどつかと腰を据へ、
健全で明快な各種の政治学を組み立てたのだ。
さて、あなたは、こんな単純な人間の生存の条件にはつきり直面し、一たびパンだけで
生きうるといふことを知つてしまつた時の人間の絶望について、考へたことがありますか?
それは多分、人類で最初に自殺を企てた男だらうと思ふ。何か悲しいことがあつて、
彼は明日自殺しようとした。今日、彼は気が進まぬながらパンを喰べた。彼は思ひあぐねて
自殺を明後日に延期した。明日、彼は又、気が進まぬながらパンを喰べた。自殺は
一日のばしに延ばされ、そのたびに彼はパンを喰べた。……或る日、彼は突然、自分が
ただパンだけで、純粋にパンだけで、目的も意味もない人生を生きてゐることを発見する。
自分が今現に生きてをり、その生きてゐる原因は正にパンだけなのだから、これ以上
確かなことはない。
三島由紀夫「美しい星」より
509:大人の名無しさん
10/06/08 10:48:11 WqCXSeQu
彼はおそろしい絶望に襲はれたが、これは決して自殺によつては解決されない絶望だつた。
何故なら、これは普通の自殺の原因となるやうな、生きてゐるといふことへの絶望ではなく、
生きてゐること自体の絶望なのであるから、絶望がますます彼を生かすからだ。
彼はこの絶望から何かを作り出さなくてはならない。政治の冷徹な認識に復讐を企てるために、
自殺の代りに、何か独自のものを作り出さなくてはならない。そこで考へ出されたことが、
政治家に気づかれぬやうに、自分の胴体に、こつそり無意味な風穴をあけることだつた。
その風穴からあらゆる意味が洩れこぼれてしまひ、パンだけは順調に消化され、永久に、
次のパンを、次のパンを、次のパンを求めつづけること。生存の無意味を保障するために、
彼らにパンを与へつづけることを、政治家たち統治者たちの、知られざる責務にしてしまふこと。
しかもそれを絶対に統治者たちには気づかせぬこと。
三島由紀夫「美しい星」より
510:大人の名無しさん
10/06/08 10:50:47 WqCXSeQu
この空洞、この風穴は、ひそかに人類の遺伝子になり、あまねく遺伝し、私が公園のベンチや
混んだ電車でたびたび見たあの反政治的な表情の素になつたのだ。
こいつらは組織を好み、地上のいたるところに、趣きのない塔を建ててまはる。私はそれらを
ひとつひとつ洞察して、つひには支配者の胴体、統治者の胴体にすら、立派な衣服の下に
小さな風穴の所在を嗅ぎつけたのだ。
今しも地球上の人類の、平和と統一とが可能だといふメドをつけたのは、私がこの風穴を
発見したときからだつた。お恥ずかしいことだが、私が仮りの人間生活を送つてゐたころは、
私の胴体にも見事にその風穴があいてゐたものだ。
私は破滅の前の人間にこのやうな状態が一般化したことを、宇宙的恩寵だとすら考へてゐる。
なぜなら、この空洞、この風穴こそ、われわれの宇宙の雛形だからだ。
三島由紀夫「美しい星」より
511:大人の名無しさん
10/06/08 10:51:05 WqCXSeQu
人間が内部の空虚の連帯によつて充実するとき、すべての政治は無意味になり、反政治的な
統一が可能になる。彼らは決して釦を押さない。釦を押すことは、彼らの宇宙を、内部の
空虚を崩壊させることになるからだ。肉体を滅ぼすことを怖れない連中も、この空虚を
滅ぼすことには耐へられない。何故ならそれは、母なる宇宙の雛形だからだ。
三島由紀夫「美しい星」より
512:大人の名無しさん
10/06/08 10:51:23 WqCXSeQu
愛と生殖とを結びつけたのは人間どもの宗教の政治的詐術で、ほかのもろもろの
政治的詐術と同様、羊の群を柵の中へ追ひ込むやり方、つまり本来無目的なものを
目的意識の中へ追ひ込む、あの千篇一律のやり方の一つなのだね。
三島由紀夫「美しい星」より
皮肉なことに愛の背理は、待たれてゐるものは必ず来ず、望んだものは必ず得られず、
しかも来ないこと得られぬことの原因が、正に待つこと望むこと自体にあるといふ
構造を持つてゐる。
三島由紀夫「美しい星」より
513:大人の名無しさん
10/06/09 00:16:34 GaiYNm2P
気まぐれこそ人間が天から得た美質で、時折人間が演じる気まぐれには、たしかに
天の最も甘美なものの片鱗がうかがはれる。それは整然たる宇宙法則が時折洩らす
吐息のやうなもの、許容された詩のやうなもので、それが遠い宇宙から人間に投影されたのだ。
人間どもの宗教の用語を借りれば、人間の中の唯一つの天使的特質といへるだらう。
人間が人間を殺さうとして、まさに発射しようとするときに、彼の心に生れ、その腕を
突然ほかの方向へ外らしてしまふふしぎな気まぐれ。
三島由紀夫「美しい星」より
514:大人の名無しさん
10/06/09 00:17:46 GaiYNm2P
美しい気まぐれの多くは、人間自体にはどうしても解けない謎で、おそらく沢山の薔薇の
前へ来た蜜蜂だけが知つてゐる謎なのだ。何故なら、こんな気まぐれこそ、薔薇はみな
同じ薔薇であり、目前の薔薇のほかにも又薔薇があり、世界は薔薇に充ちてゐるといふ
認識だけが、解き明かすことのできる謎だからだ。
私が希望を捨てないといふのは、人間の理性を信頼するからではない。人間のかういふ
美しい気まぐれに、信頼を寄せてゐるからだ。
三島由紀夫「美しい星」より
515:大人の名無しさん
10/06/09 00:18:21 GaiYNm2P
もし人類が滅んだら、私は少なくとも、その五つの美点をうまく纏めて、一つの墓碑銘を
書かずにはゐられないだらう。この墓碑銘には、人類の今までにやつたことが必要かつ
十分に要約されてをり、人類の歴史はそれ以上でもそれ以下でもなかつたのだ。
その碑文の草案は次のやうなものだ。
『地球なる一惑星に住める 人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきつぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾つた。
彼らはよく小鳥を飼つた。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑つた。
ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』
三島由紀夫「美しい星」より
516:大人の名無しさん
10/06/09 00:18:42 GaiYNm2P
これをあなた方の言葉に翻訳すればかうなるのだ。
『地球なる一惑星に住める 人間なる一種族ここに眠る。
彼らはなかなか芸術家であつた。
彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用ひた。
彼らは他の自由を剥奪して、それによつて辛ふじて自分の自由を相対的に確認した。
彼らは時間を征服しえず、その代りにせめて時間に不忠実であらうとした。
そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知つてゐた。
ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』
三島由紀夫「美しい星」より
517:大人の名無しさん
10/06/09 00:19:04 GaiYNm2P
人間は前へ進まうとするとき、必ずうしろへも進んでゐるのだ。だから彼らは決して
到達することも、帰り着くこともない。これが彼らの宇宙なのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
破滅か救済かいづれへ向つてゐやうと、未来は鉄壁の彼方にあつて、こちらには、
すべてに手つかずの純潔な時がたゆたうてゐる。この、掌の中に自在にたはめられる、
柔らかな、決定を待つていかやうにも鋳られる、しかもなほ現成の時、これこそ人間の時なのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
518:大人の名無しさん
10/06/09 00:22:32 GaiYNm2P
どんな威嚇も、人間の楽天主義には敵ひはしないのだ。その点では、地獄であらうと、
水爆戦争であらうと、魂の破滅であらうと、肉体の破滅であらうと、同じことだ。
本当に終末が来るまでは、誰もまじめに終末などを信じはしない。
三島由紀夫「美しい星」より
生きる意志の欠如と楽天主義との、世にも怠惰な結びつきが人間といふものだ。
三島由紀夫「美しい星」より
519:大人の名無しさん
10/06/09 00:22:49 GaiYNm2P
一寸傷つけただけで血を流すくせに、太陽を写す鏡面ともなるつややかな肉。あの肉の外側へ
一ミリでも出ることができないのが人間の宿命だつた。しかし同時に、人間はその肉体の
縁(へり)を、広大な宇宙空間の海と、等しく広大な内面の陸との、傷つきやすく
揺れやすい「明るい汀」にしたのだ。その内面から放たれる力は海をほんの少し押し戻し、
その薄い皮膚は又、たえまない海の侵蝕を防いでゐた。若い輝かしい肉が、人間の矜りに
なるのも尤もだつた。それは祝寿にあふれた、もつとも明るい、もつとも輝かしい汀であるから。
三島由紀夫「美しい星」より
520:大人の名無しさん
10/06/09 16:53:37 GaiYNm2P
天才というものは源泉の感情だ。そこまで堀り当てた人が天才だ。
三島由紀夫「舟橋聖一との対話」より
521:大人の名無しさん
10/06/09 16:54:09 GaiYNm2P
人間のあらゆるいやらしさと崇高さとがちっとも矛盾しないのが人間だと思うんです。
三島由紀夫
河上徹太郎との対談「創作批評」より
522:大人の名無しさん
10/06/09 16:56:44 GaiYNm2P
子供の遊びは無目的、それでいて真剣そのものでしょう。夕方、御飯になって遊びと
別れるときの、あの辛さ、ああいう辛さがなかったら、文学はビジネスにすぎなくなる。
御飯は生活です。誰でも御飯はたべなくちゃならない。しかし「御飯ですよ」と呼ばれるまで、
御飯の時間を忘れていられるような真剣な遊びを毎日みつけなくてはね。
三島由紀夫
久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より
市民というものは何を売っても、肉をひさぐことはしない。しかし芸術家というものは
それをどうしてもやらなければならないんですね。そこに市民と芸術家のちがいがある。
三島由紀夫
久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より
523:大人の名無しさん
10/06/09 16:57:01 GaiYNm2P
色気があり過ぎてもだめ、なさ過ぎてもだめだと思います。あまりあり過ぎると、
女蕩(たら)しになる。生活者になってしまうと思う。
生活者になれない程度の色気のなさ、そうかといって考古学者にもなれない色気のあり方、
そういう微妙なところで小説は書けて行くのではないか。
三島由紀夫
久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より
美は恐ろしいですよ。女も恐ろしいけど……。
ただ市民は美を恐ろしいと思わない人種だと思うんだが、やはり市民は電気冷蔵庫の
デザインが美しいとか、1951年型の自動車のデザインが美しいとか、そういう
怖ろしくない美しか理解しない。自分の生活を脅かすようなものを決して美しいと思うな、
というのが市民の修身です。やはり美に脅かされるということが芸術家で、市民になれない
最後の一線でしょう。
三島由紀夫
久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より
524:大人の名無しさん
10/06/09 16:57:18 GaiYNm2P
幸福というものは掴んだ瞬間になくなるからといって諦めるのは、卑怯だと思う。
三島由紀夫
久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より
大体、人体というこんな複雑な機械が故障なく動いてるということは幸福ですよ。
そのためには一億くらいの条件がそろわなければ、こんなことを喋っていられるコンディションに
ならないんだ。これはある意味で幸福だな。第一、人間は幸福でなければ生きていませんよ。
三島由紀夫
久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より
525:大人の名無しさん
10/06/09 17:01:07 GaiYNm2P
芸術家というものは、かなり追いつめられて来てから、始めて自分の「場」を発見するんだね。
そして芸術家の価値というものは成功したとか成功しないとかいう問題でなく、
自分の宿命を見究めたかどうかにあるんだと思うな。
三島由紀夫
戸板康二との対談「歌右衛門の美しさ」より
526:大人の名無しさん
10/06/11 00:54:24 wGy5Ss38
僕は「仮面の告白」以来、小説というのはやっぱり人生を解決する、あるいは人生を
料理するものだという考えが抜けないね。どんなに唯美的に見えても、その小説が何か
作家の行動であって、一種の世界解釈だという考えは抜けないね。
ほんとうに生きるということと同じなんだから、それは唯美的に見える作家のほうが
かえって強く持っている考えであるかもしれない。
三島由紀夫
石原慎太郎との対談「七年目の対話」より
527:大人の名無しさん
10/06/11 00:54:51 wGy5Ss38
日本人というのは方法論がないかわりに、無意識の形式意欲がある。無意識の形式意欲に
対する日本人独特の感覚的な厳しい意欲がある。そしてある新しいものが入ってくると、
日本人は無意識にそれを形式的にキャッチしようと思う。
三島由紀夫
石原慎太郎との対談「七年目の対話」より
528:大人の名無しさん
10/06/11 00:55:16 wGy5Ss38
ベケットでね、「ゴドーを待ちながら」ね、僕はゴドーが来ないというのはけしからんと思う。
それは二十世紀文学の悪い一面だよ。ゴドーが来ない。これはいやしくも芝居でゴドーが
来ないというのはなにごとだと、僕は怒るのだ。
三島由紀夫
安部公房との対談「二十世紀の文学」より
529:大人の名無しさん
10/06/11 00:55:42 wGy5Ss38
僕という人間が生きているのは、なんのためかというと、僕は伝承するために生きている。
どうやって伝承したらいいかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。
無意識に、しかしたえず訓練して成長する。僕が最高度に達したときになにかをつかむ。
そうして僕は死んじゃう。次にあらわれてくるやつは、まだなんにもわからないわけだ。
それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは教わらないのだから、結局、
お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。なんにもメトーデがないところで模索して、
最後に、死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は、歴史全体に見ると、
結晶体の上の一点から、ずっとつながっているかも知れないが、しかし絶対流れていない。
三島由紀夫
安部公房との対談「二十世紀の文学」より
530:大人の名無しさん
10/06/12 00:10:40 ZXvoILcN
僕は最近、神風連を興味をもって調べたんだけど、あれは絶対に勝つ見込みがない戦争を
仕掛けたんだね。しかも日本刀だけしか使わない。鉄砲は外国からきたものだから、
汚れているといって使わない。熊本の鎮台に対して戦うんだ。初めは奇襲で少し勝つけど、
相手は鉄砲をもって攻めてくるから、所詮、勝負は決まってるわけだ。なぜ日本刀だけで、
負けると解ってる戦争をやったか。僕はね、それはやっぱり彼らがインテリゲンチャだった
からだと思う。インテリゲンチャというものは、そういうものなんだね。つまり計算して、
こうだからやるというのは生活者の考え方なんだね。生活者の考えと、インテリゲンチャの
考えはいつも違うんだ。あなたがどっちの立場に徹するかということは大問題だと思う。
生活者に徹すれば、日本は価値のない国、戦争にも抵抗できないという生活者の知恵で
みるだろうね。神風連の事件は、生活者にはできないもので、日本の近代インテリゲンチャの
思想の源流なんです。あなたが芸術家であるか、生活者であるかという分かれ目に
ぶつかったときには、必ずその矛盾が出てくる。
三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より
531:大人の名無しさん
10/06/12 00:11:07 ZXvoILcN
言葉だけの思想的な主張ないしは思想的な説得力には、僕は昔から疑問をもっている。
腕力があり、剣があって、初めて自分の思想が貫かれるのだろう。最後に人間の顔と顔とが、
ぴたっとむかいあったときは、言葉は役に立たないと思う。やっぱりそのときには剣が
ものをいうだろうね。文筆業者はそこへゆくまでのことを一所懸命、言葉で考えてる
人間なんだけど、それで言葉が最終的に役に立つと思ったら間違いだと思う。
三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より
532:大人の名無しさん
10/06/14 10:33:39 RKvpKNtb
あらゆる忠義によるラジカルな行動を認めなければ、天皇制の本質を逸すると僕は言っている
わけです。場合によっては共産革命だって、もし錦旗革命だったら天皇は認めなければ
ならないでしょうね。天皇制の本質なのかもしれませんよ。それをよく知らないで、
右翼だとかファッショだといってバカにしきって戦後共産党がやっていたのは共産党が
バカだといいたいね。米のなかった時代に朕はたらふく食った、汝国民は飢えていろなどと
いう代りに、何で赤旗をもって宮城前で天皇陛下万歳をやらなかったかといいたい。
あそこで陛下の帽子をふっているあとを追いかけていって革命を成功させなかったか。
三島由紀夫
大島渚との対談「ファシストか革命家か」より
533:大人の名無しさん
10/06/14 10:34:02 RKvpKNtb
彼ら(共産党)は天皇制護持を平気で言えるという時点まで踏み切れない。
だから日本の共産党はダメなんだ。天皇制護持までできれば成功していたし、第一党に
なっていただろうと思うが。彼らに言わせれば、まあ惜しいことをした。しかしもう遅い。
三島由紀夫
大島渚との対談「ファシストか革命家か」より
守るというのは剣の使命であって、言葉の使命ではないからだ。言葉はただ刺すだけだ。
守ろうと思ったら、剣を執らなきゃだめだ。
三島由紀夫
大島渚との対談「ファシストか革命家か」より
534:大人の名無しさん
10/06/14 10:36:58 RKvpKNtb
日本人は絶対、民主主義を守るために死なん。ぼくはアメリカ人にも言うんだけど、
「日本人は民主主義のために死なないよ」と前から言っている。今後もそうだろうと思う。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局文化だと思うんだ。本質的な問題は。というのはね、
やっぱりキリスト教対ヘレニズムというようなもんなんだよ。いまわれわれが当面している問題は。
結局ね、世界をよくしようとか、未来を見ようとかいう考えと、それから、未来は
ないんだけれども、文化というものがわれわれのからだにあるんだという考えと、
その二つの対立だよ。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
「文化を守る」ということは、「おれを守る」ということだよ。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
535:大人の名無しさん
10/06/14 10:37:22 RKvpKNtb
十年、五十年単位の考えは、絶対に必要なことだ。なぜかというと、十年、五十年と考えると、
今日始めなきゃだめなんだよ。だから一番緊急なことなんだよ。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
一番長い経過を要する仕事を今日始めて、そしてあしたはだね、三年先のことを始める
というのが、ぼくは一番現実的な考えだと思うね。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
536:大人の名無しさん
10/06/14 10:37:46 RKvpKNtb
ぼくは文化というものはね、変な比喩だが、金とおんなじことだと思う。とにかく、
あぶないときにどっかに置いておかなければ、いつもこわされちゃう。こんなもろい、
こんなものはない。僕はいわば文化の金本位制論者だ。
日本では、昔から金について一番もろくて弱かった独占資本的財閥、戦前のそういう連中はね、
どんなインテリよりもぼくは、実際に敏感だったと思いますよ。それは昭和の歴史を見ても
よくわかりますがね。文化人というのはいつものんきなんだが、資本家が金をこわがるように、
どうして文化人は文化というものの、もろさ、弱さ、はかなさ、というものを感じないんだろうかね。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
537:大人の名無しさん
10/06/14 10:38:03 RKvpKNtb
いまでもぼくは、文化というものは、ほんとにどんな弱い女よりもか弱く、どんな
破れやすい布よりも破れやすい、もう手にそうっと持ってにゃならんのだと思いますね。
そっからすべてものの危機感がくるんだし、それで、そのためには自分のからだを
投げ出してもいいと思うしね。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
文化がどんなに変様されて、歪曲されても、生きのびるほど強いもんだということは結果論です。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
538:大人の名無しさん
10/06/14 10:38:37 RKvpKNtb
天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として、
そこにいなけりゃならない。それをいまから準備していなければならない。それは
アンティエゴイズムであり、アンティ近代化であり、アンティ工業化であるけど、決して
古き土地制度の復活でもなければ、農本主義でもない。(中略)
天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところに
あるべきだ。そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。
その根元にあるのは、とにかく「お祭」だ、ということです。天皇がなすべきことは、
お祭、お祭、お祭、お祭、―それだけだ。これがぼくの天皇論の概略です。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
539:大人の名無しさん
10/06/14 10:40:30 RKvpKNtb
エリザベスは、亭主が自分の部屋に電話を引いたり、テレビをつけたり、ボタンを押すと
飛び上がる椅子をつけたりするのに、自分は、まだ十八世紀のお茶の作法で、百メートル先から
女官たちが手から手へつないだお茶を持って来て、冷えたお茶を飲んでいる。
自分の部屋には電話がない。ぼくは、そういうことが天皇制だろうと思うんです。
日本の皇室がその点でわれわれを納得させる存在理由は日ましに稀薄になっている。
つまりわれわれが近代化の中でこれだけ苦しんで、どこかでお茶を十八世紀の作法で
飲んでいる人がいなければ、世界は崩壊するんだよ。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
540:大人の名無しさん
10/06/14 10:40:48 RKvpKNtb
世界の行く果てには、福祉国家の荒廃、社会主義国家の嘘しかないとなれば、何がほしいだろう。
それはカソリックならカソリックかもしれない。だけど、日本の天皇というのはいいですよ。
頑張ってれば世界的なモデルケースになれると思う。それが八紘一宇だと思うんだよ。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
541:大人の名無しさん
10/06/15 10:45:36 +IsRvn3e
虚栄心、自尊心、独占欲、男性たることの対社会的プライド、男性としての能力に関する自負、
……かういふものはみんな社会的性質を帯びてゐて、これがみんな根こそぎにされた悩みが、
男の嫉妬を形づくります。
男の嫉妬の本当のギリギリのところは、体面を傷つけられた怒りだと断言してもよろしい。
三島由紀夫「不道徳教育講座 いはゆる『よろめき』について」より
ワシントンは子供心に、ウソをついた場合のイヤな気持まで知つてゐたので、正直に
白状したのかもしれません。たいてい勇気ある行動といふものは、別の或るものへの怖れから
来てゐるもので、全然恐怖心のない人には、勇気の生れる余地がなくて、さういふ人は
ただ無茶をやつてのけるだけの話です。
三島由紀夫「不道徳教育講座 大いにウソをつくべし」より
542:大人の名無しさん
10/06/15 10:46:10 +IsRvn3e
崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。
三島由紀夫「禁色」より
人間をいちばん残酷にするのは、愛されてゐるといふ意識だよ。
三島由紀夫「禁色」より
543:大人の名無しさん
10/06/15 10:46:43 +IsRvn3e
不安こそ、われわれが若さからぬすみうるこよない宝だ。
三島由紀夫「暁の寺」より
544:大人の名無しさん
10/06/15 19:55:26 +IsRvn3e
歌舞伎の世界というのは、名優は自分は死なないで、死の演技をする。それで芸術の最高潮に
達するわけですね。しかし武士社会で、なぜ河原乞食と卑しめられたかというと、あれは
ほんとうに死なないではないか、それだけですよ。そのひと言だけで芸術はペッチャンコですよ。
三島由紀夫
埴谷雄高との対談「デカダンス意識と死生観」より
545:大人の名無しさん
10/06/16 10:44:59 ONL5hYZx
私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。
共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。暗殺のほうは少ないから、シーザーの
昔から、殺されたのは一人で、六十万人が一人に暗殺されたなんて話は聞いたことがない。
これは虐殺であります。(中略)
たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配が
なかったら、いくらでも嘘がつける。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
大体政治の本当の顔というのは、人間が全身的にぶつかり合い、相手の立場、相手の思想、
相手のあらゆるものを抹殺するか、あるいは自分が抹殺されるか、人間の決闘の場であります。
それが言論を通じて徐々に徐々に高められてきたのが政治の姿であります。
しかしこの言論の底には血がにじんでいる。そして、それを忘れた言論はすぐ偽善と嘘に
堕することは、日本の立派な国会を御覧になれば、よくわかる。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
546:大人の名無しさん
10/06/16 10:47:28 ONL5hYZx
私が一番好きな話は、多少ファナティックな話になるけれども、満州でロシア軍が
入ってきたときに―私はそれを実際にいた人から聞いたのでありますが―在留邦人が
一ヵ所に集められて、いよいよこれから武装解除というような形になってしまって、
大部分の軍人はおとなしく武器を引き渡そうとした。その時一人の中尉がやにわに
日本刀を抜いて、何万、何十万というロシア軍の中へ一人でワーッといって斬り込んで行って、
たちまち殴り殺されたという話であります。
私は、言論と日本刀というものは同じもので、何千万人相手にしても、俺一人だというのが
言論だと思うのです。一人の人間を大勢で寄ってたかってぶち壊すのは、言論ではなくて、
そういうものを暴力という。つまり一人の日本刀の言論だ。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
547:大人の名無しさん
10/06/16 10:48:36 ONL5hYZx
初めから妥協を考えるような決意というものは本物の決意ではないのです。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
私は、暗殺者が必ずあとですぐに自殺するという日本の伝統はやはり武士(さむらい)の
道だと思っている。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
548:大人の名無しさん
10/06/16 10:50:12 ONL5hYZx
人間が一対一で決闘する場合には、えらい人も、一市民もない。そこに民主主義の原理が
あるのだと私は考える。
だから、政治というものはいずれにしろ激突だ。そして激突で一人の人間が一人の人間を
許すか、許さないか、ギリギリ決着のところだ。それが暗殺という形をとったのは
不幸なことではあるけれども、その政治原理の中にそういうものが自ずから含まれている。
もしそうでなければ、諸君が選挙の投票場へ行って投ずる一票に何の意味がありますか。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
民主主義なんて甘いものじゃない。これをどうやって純粋民主主義に近づけるかなんて、
いつまでたっても無駄なんだ。人間は汚れている。汚れている中で相対的にいいものを
やろうというのが民主主義なんだ。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
549:大人の名無しさん
10/06/18 11:56:07 1+cvO8yR
どんな政治体制でも歴史的な基盤があって、徐々に形成されたものであるので、その点では
日本の天皇制もまったく同じだと思います。ですから民主主義が悪いとか、天皇制が
いいとか悪いとかいう問題じゃなくて、その国その国の歴史的基盤に立った政治体制が
できていくということは当然だと思います。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
550:大人の名無しさん
10/06/18 11:57:21 1+cvO8yR
国家がなくなって世界政府ができるなんという夢は、非常に情けない、哀れな夢なんです。
…資本主義国家も国家が管理している部分が非常に大きくなっておりますから、実際の
国家の時代という点では、国家の管理機能はむしろ史上最高ぐらいまで達しているのではないか。
これが極点に達し、崩れて、超国家ができるかどうか、そんなことは先のことである。
我々はまず国家の中に生きているという存在から問題を考えなければならんというように
私は思っております。ですから、国家の時代なればこそ戦争も必ずある。であるから、
それに対する防衛の問題も真剣に考えなければならんと、私はそういうように思っております。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
551:大人の名無しさん
10/06/18 11:58:06 1+cvO8yR
共産社会に階級がないというのは全くの迷信であって、これは巨大なビューロクラシーの
社会であります。そしてこの階級制の蟻のごとき社会にならないために我々の社会が
戦わなければならんというふうに私は考えるものですが、日本の例をとってみますと、
日本にどういうふうに階級があるのか、まずそれを伺いたい。たとえばアメリカなどは
民主主義社会とはいいながら、ヨーロッパよりさらに古い、さらに深い階級意識が
ある国です。というのは、ヨーロッパを真似して成金が階級をつくったのですね。
ですからこれはアングロ・サクソンの文化の伝統ですが、クラブというのがありますね。
みんなメンバーシップオンリーのクラブで、下のクラブの人が上のクラブをステイタス・
シンボルとして、ステイタス・クライマーが上流のクラブへ入るためにあらゆる算段を
するわけです。(中略)
アメリカにはステイタス・シンボルというものが非常にたくさんあります。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
552:大人の名無しさん
10/06/18 11:58:31 1+cvO8yR
ところが日本ではステイタス・シンボルに当たるものが私は何があるのかと聞きたい。
…一つの社会風俗的現象としてのステイタス・シンボルがあるのか。キャデラックに
乗っていたらブルジョアなのか。みんな会社の金でキャデラックに乗っている、それが
ブルジョアなのか。あるいはゴルフクラブに入っていたらそれがブルジョアなのか。
ゴルフクラブに入って、あのキャディに、かよわい女性に重いものを背負わせて歩けば
それがブルジョアなのか。そして日本では社会主義者も共産主義者もみんな軽井沢に
別荘を持っている。(中略)
私は階級差というものの甚だしい例をヨーロッパでたくさん見てきた。(中略)
富の分配というのは一応マルクス主義の美名になっておりますが、これは別の方法を
使ったってできるのだ。(中略)
権力の分配に至っては、共産主義社会のあのおそろしいビューロクラシーと比べると、
我々はむしろ権力の分配の公正な社会に生きていると、私はこう考えております。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
553:大人の名無しさん
10/06/18 11:59:40 1+cvO8yR
我々はヒューマニスティックな愛情を何に対して持つか。ニューヨークじゃ、もう人間に
同情する人がなくなっちゃったのでみんな犬に同情している。それがアングロ・サクソン
動物愛護協会というものなんです。これは生活の余裕がなければできないことで、
オールビーの「動物園物語」という芝居をご覧になった方はわかりますが、犬を可愛がって、
犬としか対話しない人間が長々と出てきます。人間というのはそういうふうになっちゃう
ものなんですね。愛情と憐れみを何に向って与えようか。その溢れるアフェクションの中から
どうやって社会革新の情熱を呼びさまそうか。人間はこういうものを考える動物だと思います。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
554:大人の名無しさん
10/06/20 11:12:41 3Uow8SBs
自分に危険がないような暴力行為はまったく意味がない。それにはモラルがないですからね。
ですから、アウシュヴィッツや、原子爆弾には、いまでも反対ですね。それは、ヒューマニズムと
ちょっと違うんだな。ヒューマニズムだからそういうことをしちゃいけない、というのとは
ちょっと違う。
三島由紀夫
石川淳との対談「肉体の運動 精神の運動―芸術におけるモラルと技術」より
無を、スタイルによって自分の中にうまく引き止めた人間、それが芸術家じゃないでしょうか。
一般にスタイルってものは、ある個人のいちばん深いところから出てきて、社会の
いちばん浅いところまで支配しちゃうようなものでしょうね。後世から見ると、それが
その時代のスタイルというふうになって、非常に歴史的なものになっちゃうんですね。
不思議ですね、これは。
三島由紀夫
石川淳との対談「肉体の運動 精神の運動―芸術におけるモラルと技術」より
555:大人の名無しさん
10/06/20 11:12:58 3Uow8SBs
精神分析ってのは、ついにスタイルの問題を解決しない。スタイルを解決しなきゃ、
芸術は絶対分らない。精神分析は、いつも超歴史的なモメントを持ってきて、いつも
おんなじところへ引き戻す。おんなじところへ引き戻して、どうしてミケランジェロが
いて、どうしてワットーが出てくるか、そういうスタイルの問題を、何ら解決しない。
ですからあれは、あらゆる芸術美学がそうですが、フロイトも芸術論でいちばん
失敗していますね。カントも「判断力批判」では失敗していますね。
かりにも美ってものに哲学者がタッチしたり、あるいは哲学者以外のああいう学者が
タッチしたら、全部まちがえるのはそこです。ぼくは、けっきょく、それが歴史だろうと
思うんです。芸術っていうのは、非常に個性的なあらわれ方を、自分ではしていると
信じているんだけれども、どんなことをしてもできない。それが芸術なんですね。
三島由紀夫
石川淳との対談「肉体の運動 精神の運動―芸術におけるモラルと技術」より
556:大人の名無しさん
10/06/20 17:56:04 ITFpMm9u
140字超えてるぞ
557:大人の名無しさん
10/06/21 10:27:35 6D8umfLo
(西洋では)フレッシュとボディは違うのだ。キリスト教は、フレッシュは否定するが、
ボディは否定しない。それは受肉という思想があるから。インカーネーションでもって、
ボディが復活するのであって、フレッシュは復活しない。フレッシュは滅びる。
日本ではそれが、フレッシュとボディの区別がない。日本の体という場合には、
フレッシュとボディは渾然一体なんです。それで「源氏物語」の闇のなかにあらわれる
女体は、やはりフレッシュでありボディである。同時にその背後のものを暗示しているね、
一つながりのあれですね。それが日本の「色」というものだと思います。
三島由紀夫
山本健吉・佐伯彰一との対談「原型と現代小説」より
村松剛が言ったひと言を忘れないのだが、天皇制がなぜ日本に合っているかというと、
日本人が嫉妬深いからだと、うまい説明だと思ったな。つまり、一つのクッションを置いて、
権力を授受しないと、絶対に日本人は承服しない。日本人同士の互選では、権力というものは
一日も成立たんと言うのだ。
三島由紀夫
山本健吉・佐伯彰一との対談「原型と現代小説」より
558:大人の名無しさん
10/06/21 10:28:00 6D8umfLo
鏡花を今の青年が読むと、サイケデリックの元祖だと思うに違いない。
三島由紀夫
澁澤龍彦との対談「泉鏡花の魅力」より
鏡花は、あの当時の作家全般から比べると絵空事を書いているようでいて、なにか人間の
真相を知っていた人だ、という気がしてしようがない。
三島由紀夫
澁澤龍彦との対談「泉鏡花の魅力」より
559:大人の名無しさん
10/06/21 10:28:23 6D8umfLo
ニヒリストの文学は、地獄へ連れていくものか、天国へ連れていくものかわからんが、
鏡花はどこかへ連れていきます。日本の近代文学で、われわれを他界へ連れていって
くれる文学というのはほかにない。
…谷崎さんも、もうひとつ連れていってくれない。天国へもいかない。川端康成さんは
ある意味で、「眠れる美女」なんかでどこかへ連れていくね。地獄ですかね。
鏡花が連れていくのは天国か地獄かわからない。あれは煉獄だろうか。
スウェーデンボルグ流に言うと天使界かな。
三島由紀夫
澁澤龍彦との対談「泉鏡花の魅力」より
560:大人の名無しさん
10/06/21 11:56:41 6D8umfLo
今の時代はますます複雑になって、新聞を読んでも、テレビを見ても、真相はつかめない。
そういうときに何があるかといえば、自分で見にいくほかないんだよ。
三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長―男の盟約」より
いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。だいたい、“右”というのは、
ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)
三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長―男の盟約」より
561:大人の名無しさん
10/06/21 19:36:07 6D8umfLo
ヒューマニズムなんて言っていたら、みんな三国人に取られちゃいますよ。(笑)
三島由紀夫
堤清二との対談「二・二六将校と全学連学生との断絶」より
562:大人の名無しさん
10/06/22 10:42:30 sOwgrqqr
これしかないという表現を体でもって選ぼうとすればことばだね。最終的に、ことばか
身を投げることしかない。それはもっとつきつめれば焼身自殺だよ。このあいだ、
アメリカの国会議事堂で自殺した少年と同じだ。これはことばにかけると同じ重さを、
からだにかけた行為だと思う。これが表現なんで、それ以外の表現は嘘なんだ。
三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理―行動する作家の思弁と責任」より
テロリズムといわれようとなんといわれようとかまわない、ことばを刻むように行為を
刻むべきだよ。彼ら(全学連)はことばを信じないから行為を刻めないじゃないか。
三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理―行動する作家の思弁と責任」より
563:大人の名無しさん
10/06/22 10:42:51 sOwgrqqr
中国人はものを変えることが好きでね、人間を壷の中に入れて首だけ出して育ててみたり、
女の足を纏足(てんそく)にしてみたり、デフォルメーションの趣味があるんだよ。
これは伝統的なものだと思うんだ。中国というのが非常に西洋人に近いと思うのは、
自然にたいして人工というのを重んじるところね。中国人の人間主義というのは非常に
人工的なものを尊ぶ主義でしょう。作って、変えたという確信を持つことが権力意識の
獲得ですから。だから意識の変革というのをやりたくてしようがないんだよ。
三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理―」より
564:大人の名無しさん
10/06/23 00:30:30 2zqzkbzf
未来ということを考える暇がないほど現在の時点における自分の存在の中に、連綿たる
過去の日本の文化伝統と日本人の長い民族的蓄積とが、太古以来ずっと続いている、
その一番ラストに自分はいるんだ、自分が滅びたらもうお終いなんだ、自分は日本というものの
一番の精髄をになってここにいま立って、そこで自分は終るのだ。そういうことがなければ、
ぼくは人間の最終的な誇り、日本人としての最終的な誇りは持てないと思います。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
565:大人の名無しさん
10/06/23 00:32:04 2zqzkbzf
未来を所有しているのは老人の特徴で、未来を所有しないのが青年の特徴である。(中略)
青年は未来に対してあらゆる可能性があるように見えるかわりに、未来を何一つ所有しない。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
言論自由下の社会主義なんていうものを夢見ているとあぶないんだ。
…もし美しき社会主義を夢見れば醜き社会主義にやられてしまうんだ。
三島由紀夫「国家革新の原理―学生とのティーチ・イン」より
566:大人の名無しさん
10/06/23 00:34:59 2zqzkbzf
現代は全河原乞食、一億河原乞食の時代で、政治家から、経済人から、芸術家から、なにから、
やはり河原乞食だと思うのですね、「葉隠」と較べれば。
三島由紀夫「『葉隠』の魅力」より
私は人間関係は、みんな委員会になっちゃったというのです。そしてうそですね。
うそでかためれば安全、謙譲の美徳を発揮すれば安全、安全第一。そして人間関係も、
とにかく世論というものをいつも顧慮しながら、不特定多数の人間の平均的な好みに
自分を会わせれば成功だし、会わせれることができなきゃ失敗。これが現代社会ですよ。
三島由紀夫「『葉隠』の魅力」より
567:大人の名無しさん
10/06/23 00:36:15 2zqzkbzf
客観的に滑稽であってもいいと思うんだ。しかし主観的に滑稽だと思ったら、人間負けだよ、
そういうことだけは絶対やっちゃいかんと思う。
三島由紀夫
いいだももとの対談「政治行為の象徴性について」より
568:大人の名無しさん
10/06/23 00:37:54 2zqzkbzf
人間の生存本能や、自己防衛本能を超越できたら、人間というものはもう少し
飛躍するのだろうと思います。
三島由紀夫
尾崎一雄との対談「私小説の底流」より
僕はやっぱり物体というものは、バイブレートするものだと思うんですよ。物体自体が、
一つの構成要素がバイブレートしていなければ、この宇宙は成り立たないと思うな。
ほんとうはバイブレートしているのかもしれないけれども、われわれにはその動きが
全然見えないわけですね。
三島由紀夫
尾崎一雄との対談「私小説の底流」より
569:大人の名無しさん
10/06/23 00:40:15 2zqzkbzf
戦後教育は、死ぬということを教えてないね。客観状勢がどうとかということは、ぼくは
必ずしも信じない。…客観状勢が熟すのを待つというのは、ゲバラがいちばん嫌ったろう。
革命の客観的条件というのはないんだ、それを熟させるのが革命家だ、という考えだろう。
それを熟させるのは精神だよ。それがあれば、なにかがかもしだされてくる。
三島由紀夫
野坂昭如との対談「剣か花か」より
570:大人の名無しさん
10/06/23 10:52:38 2zqzkbzf
ニーチェの「アモール・ファティ」じゃないけれども、自分の宿命を認めることが、
人間にとって、それしか自由の道はないというのがぼくの考えだ。
三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
最後に守るものは何だろうというと、三種の神器しかなくなっちゃうんだ。
…いま日本はナショナリズムがどんどん侵食されていて、いまのままでいくとナショナリズムの
九割ぐらいまで左翼に取られてしまうよ。
三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
身を守るということは卑しい思想だよ。絶対、自己放棄に達しない思想というのは卑しい思想だ。
三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
571:大人の名無しさん
10/06/23 10:53:53 2zqzkbzf
男というのはまったく原理で、女は原理じゃない、女は存在だからね。男はしょっちゅう
原理を守らなくちゃならないでしょう。
三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
三種の神器です。ぼくは天皇というのをパーソナルにつくっちゅったことが一番いけないと
思うんです。戦後の人間天皇制が一番いかんと思うのは、みんなが天皇をパーソナルな存在に
しちゃったからです。天皇というのはパーソナルじゃないんですよ。(中略)
それで天皇の本質というものが誤られてしまった。だから石原さんみたいな、つまり
非常に無垢ではあるけれども、天皇制廃止論者をつくっちゃった。
三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
572:大人の名無しさん
10/06/23 10:55:40 2zqzkbzf
肉体の外に人間は出られないということを精神は一度でも自覚したことがあるだろうか、
これは私がいつも考えてきたことであります。なぜなら、われわれは自分の肉体の外へ
一ミリも出られない。こんな不合理なことがあるだろうか。
三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争」より
おれの作品は何万年という時間の持続との間にある一つの持続なんだ。ぼくは空間を
意図しないけれども、時間を意図している。
三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争」より
573:大人の名無しさん
10/06/23 10:57:01 2zqzkbzf
文化というものは一つの長い時間の集積でもってここにまた自分の中に続いている。
外在すると同時に内在するその中から自分がセレクトするというのが自分の現在一瞬一瞬の
行為である。
三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争」より
私にとっては、関係性というものと、自己超越性―超時間性といいましたかな、
そういうものと初めから私の中で癒着している。これを切り離すことはできない。
初めから癒着しているところで芸術作品ができているから、別の癒着の形として
行動も出てくる。
三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争」より
574:大人の名無しさん
10/06/23 10:57:39 2zqzkbzf
言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかに
どんなふうに残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して
私は去っていきます。
三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争」より
575:大人の名無しさん
10/06/23 10:59:19 2zqzkbzf
時間を支配しているのは女であって、男じゃない。妊娠十ヵ月の時間、これは女の持物だからね。
だから女は時間に遅れる権利があるんだよ。(中略)
女は自分が時計なんだから、肉体がちゃんと時計の役割をして、規則正しく自分の影響を
受けている。時間内存在なんだよ。男は時間外存在になりかねないから、しょっちゅう
時計に頼らないと、こわくてこわくて。
三島由紀夫
寺山修司との対談「エロスは抵抗の拠点になり得るか」より
576:大人の名無しさん
10/06/24 11:41:52 q1R8OkYm
まあ、私も喜劇の部類で残念ですけれども、悲劇にはなりそうもない。
三島由紀夫
石川淳との対談「破裂のために集中する」より
失敗した悲劇役者というのが僕じゃないかしら。一生懸命泣かせようと思って出てきても、
みんな大笑いする。
三島由紀夫
石川淳との対談「破裂のために集中する」より
577:大人の名無しさん
10/06/24 11:42:24 q1R8OkYm
僕は、単細胞のせいかもしれないけれど、革命というものはイデオロギーの問題でも
なんでもない、ただ爆弾持って駈け出すことだと思っているんです。維新というのも、
ただ日本刀持って駈け出すことだと思っている。駈けるのには、百メートルを十六秒以下で
なければ駈けるとは言えない。そのためには、ふとっていちゃ絶対だめですよ。
アメリカとベトコンの戦争は、やせたやつがふとったやつを悩ませたというだけの話ですよ。
ベトコンはやせているから駈けられる。アメリカ人はあの体していちゃ崖やなんか駈け昇れない。
どうして日本のインテリというのは、ふとるようになっちゃったんでしょう。これは僕は
重大問題だと思っているんですよ。つまり肉体と精神との関係において。
三島由紀夫
石川淳との対談「破裂のために集中する」より
578:大人の名無しさん
10/06/26 10:23:40 /E4jRbo7
ナルシシズムというのは、自分の問題じゃないでしょうね。他人からの関心の問題ですからね。
ですから、自分へのこだわりとちょっと違うかもしれませんね。自分へのこだわりは、
ナルシシズムと反対かもしれませんね。もし、自分へのこだわりを捨てたければ、
もっとみんなナルシシストになればいいのです。
三島由紀夫
秋山駿との対談「私の文学を語る」より
自分になんかだれも興味をもってくれないというのは、まず社会の根本原則ですね。
三島由紀夫
秋山駿との対談「私の文学を語る」より
579:大人の名無しさん
10/06/26 10:25:32 /E4jRbo7
僕は、自分の本質がなにかということを考えるということはやめたのです。
…自分とはなんだという問題ですね。つまり、ほじくってほじくって、玉葱の皮をむいて
いくでしょう。だんだん孤独になって、いまの大江君の「万延元年」など見ると、
そういう感じが非常にしますがね。玉葱の皮むいている。
(芯が)あるはずかもしれないけれども、皮だけかもしれない。一番簡単な通俗的な方法は
精神分析ですね。僕が自分の精神分析をすれば、どんな精神分析学者よりもうまくやる
自信がありますよ。なんでもあります、僕の中には。
…僕の変なことをやる動機なりなんなり、精神分析で解釈すれば、なんでもつくのです。
なんでもできますね。どんな精神分析学者をつれてきても驚かない。僕のほうが
うまいでしょうね。人間というのは、やはり動機で動くものじゃないと思っています。
三島由紀夫
秋山駿との対談「私の文学を語る」より
580:大人の名無しさん
10/06/26 10:26:26 /E4jRbo7
谷崎さんにしても川端さんにしても素晴らしい芸術家だけれども、男というものは一人も
出てこないでしょう。元禄時代、元禄時代というけれども、西鶴はちゃんと書いていますよ。
男の世界を書いている。人間がデリケートな感情から発して、激しい行動に一直線に
つながるところを書いてますね。
三島由紀夫
秋山駿との対談「私の文学を語る」より
581:大人の名無しさん
10/06/28 10:16:51 3mbEJeah
私は血すぢでは百姓とサムラヒの末裔だが、仕事の仕方はもつとも勤勉な百姓であり、
生活のモラルではサムラヒである。
三島由紀夫「フランスのテレビに初主演―文壇の若大将 三島由紀夫氏」より
何ごとにもまじめなことが私の欠点であり、また私の滑稽さの根源である。
三島由紀夫「フランスのテレビに初主演―文壇の若大将 三島由紀夫氏」より
582:大人の名無しさん
10/06/28 10:17:07 3mbEJeah
孤独と連帯性は決して両極端ではない。孤独を知らぬ作家の連帯責任など信用できぬ。
われわれは水晶の数珠のやうにつなぎ合はされてゐるが、一粒一粒でもそれは水晶なのだ。
しかし一粒の水晶と一連の数珠との間には中庸などといふものはありえない。
バラバラだからつなげることができ、つながつてゐるからこそバラバラになりうる。
三島由紀夫「フランスのテレビに初主演―文壇の若大将 三島由紀夫氏」より
583:大人の名無しさん
10/06/28 11:48:34 3mbEJeah
男性操縦術の最高の秘訣は、男のセンチメンタリズムをギュッとにぎることだといふことが、
どの恋愛読本にも書いてないのはふしぎなことです。
三島由紀夫「第一の性」より
愛とは、暇と心と莫大なエネルギーを要するものです。
三島由紀夫「第一の性」より
584:大人の名無しさん
10/06/29 10:41:11 8HYKrchR
ひとたび自分の本質がロマンティークだとわかると、どうしてもハイムケール(帰郷)する
わけですね。ハイムケールすると、十代にいっちゃうのです。十代にいっちゃうと、
いろんなものが、パンドラの箱みたいに、ワーッと出てくるんです。だから、ぼくは
もし誠実というものがあるとすれば、人にどんなに笑われようと、またどんなに悪口を
言われようと、このハイムケールする自己に忠実である以外にないんじゃないか、と
思うようになりました。ぼくのこの気持ちは、思想的立場の違う人、ゼネレーションの
違う人にはきっと理解できないんだと思います。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
585:大人の名無しさん
10/06/29 10:41:32 8HYKrchR
いまの相対主義的な世界におけるエロティシズムというのは、フリー・セックスでしょう。
なんにも抵抗がない。あんな絶対者にかかわりを持たぬセックスなど、ぼくは
エロティシズムとは呼びたくないですね。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
やっぱり穀物神だからね、天皇というのは。だから個人的な人格というのは二次的な問題で、
すべてもとの天照大神にたちかえってゆくべきなんです。今上天皇はいつでも今上天皇です。
つまり、天皇の御子様が次の天皇になるとかどうかという問題じゃなくて、大嘗会と同時に
すべては天照大神と直結しちゃうんです。そういう非個人的性格というものを天皇から
失わせた、小泉信三がそれをやったということが、戦後の天皇制のつくり方において
最大の誤謬だったと思うんです。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
586:大人の名無しさん
10/06/29 10:41:51 8HYKrchR
明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。あのころの人間は単細胞だから、
あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは
嫌いなんです。どんな時代だって、どんな階級に属していたって、人間は命が惜しいですよ。
それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは思いませんね。
だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。維新にしろ、
革命にしろ、その覚悟の見せどころだとぼくは思うんだが、全共闘には、やっぱり
生命尊重主義というか、人命の価値が至上のものだという戦後教育がしみついていますね。
三島由紀夫
古林尚との対談「最後の言葉」より
(ウーマン・リブは)バカの骨頂ですね。女が女であることを否定したら損だということが
理解できないんですね。ただバカな女どもですよ。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
587:大人の名無しさん
10/06/29 10:42:11 8HYKrchR
ぼくがウソだと思ったのは「きけわだつみのこえ」でした。あの遺稿集は、もちろん
ほんとに書かれた手記を編集したものでしょう。だが、あの時代の青年がいちばん
苦しんだのは、あの手記の内容が示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と
日本との融合だったんですよね。戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、日本と
西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。そこを突っきって
行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと
書いてある。そういう考えは、ぼくは許せない。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
588:大人の名無しさん
10/06/29 10:44:29 8HYKrchR
どろ臭い、暗い精神主義―ぼくは、それが好きでしようがない。うんとファナティックな、
蒙昧主義的な、そういうものがとても好きなんです。ぼくのディオニソスは、神風連に
つながり、西南の役につながり、萩の乱その他、あのへんの暗い蒙昧ともいうべき破滅衝動につながっているんです。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
589:大人の名無しさん
10/06/29 10:44:46 8HYKrchR
大げさな話ですが、日本語を知っている人間は、おれのジェネレーションでおしまいだろうと
思うんです。日本の古典のことばが体に入っている人間というのは、もうこれからは
出てこないでしょうね。未来にあるのは、まあ国際主義か、一種の抽象主義ですかね。
安部公房なんか、そっちへ行ってるわけですが、ぼくは行けないんです。それで世界中が、
すくなくとも資本主義国では全部が同じ問題をかかえ、言語こそ違え、まったく同じ精神、
同じ生活感情の中でやっていくことになるんでしょうね。そういう時代が来たって、
それはよいですよ。こっちは、もう最後の人間なんだから、どうしようもない。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
590:大人の名無しさん
10/07/01 11:30:07 +to0OAeM
貞女とは、多くのばあひ、世間の評判であり、その世間をカサに着た女の鎧であります。
三島由紀夫「反貞女大学」より
トルストイがどんなに天才だらうと、暇がなければ「戦争と平和」なんて読めたものではない。
三島由紀夫「反貞女大学」より
591:大人の名無しさん
10/07/01 11:30:33 +to0OAeM
女は抽象精神とは無縁の徒である。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より
余計者たるに悩むことは、人間たるに悩むことと同然である。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より
592:大人の名無しさん
10/07/01 11:31:15 +to0OAeM
守る側の人間は、どんなに強力な武器を用意してゐても、いつか倒される運命にあるのだ。
三島由紀夫「若さと体力の勝利―原田・ジョフレ戦」より
守勢に立つ側の辛さ、追はれる者の辛さからは、容易ならぬ狡智が生れる。
三島由紀夫「追ふ者追はれる者―ペレス・米倉戦観戦記」より
「老巧」などといふ言葉は、スポーツの世界では不吉な言葉で、それはいつかきつと
「若さ」に敗れる日が来るのである。
三島由紀夫「追ふ者追はれる者―ペレス・米倉戦観戦記」より
593:大人の名無しさん
10/07/01 11:37:27 +to0OAeM
人は最期の一念によつて生を引く。
三島由紀夫「椿説弓張月より
楽しみといふものは死とおんなじで、世界の果てからわれわれを呼んでゐる。
三島由紀夫「熊野」より
淋しさといふものは人間の放つ臭気の一種だよ。
三島由紀夫「熱帯樹」より
世の中つて、真面目にしたことは大てい失敗するし、不真面目にしたことはうまく行く。
三島由紀夫「白蟻の巣」より
594:大人の名無しさん
10/07/01 11:38:34 +to0OAeM
年をとらせるのは肉体じやなくつて、もしかしたら心かもしれないの。心のわづらひと衰へが、
内側から体に反映して、みにくい皺やしみを作つてゆくのかもしれないの。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
女の貞淑といふものは、時たま良人のかけてくれるやさしい言葉や行ひへの報ひではなくて、
良人の本質に直に結びついたものであるべきだ。
三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
人間の感情の振幅を無限に拡大すれば、それは自然の感情になり、つひには摂理になる。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
595:大人の名無しさん
10/07/02 01:03:57 mPa0hIXr
なぜ払うのか?強制連行ではない在日コリアンへの
日本の血税2兆3千億円の無駄遣い
【なんと2兆3000億円!外国人への生活保護をカットしましょう!】
なぜ日本人が納めた税金を日本人ではなく、外国人に使わなくてはいけないのか?
強制連行で来た訳ではない、在日コリアン64万人中46万人が無職で、
その中のほとんどが生活保護を平均毎月17万円も貰っています。
上下水道も基本料金免除。NHKは全額免除。
なんと国民年金も全額免除。
年2兆3000億円もの血税が、反日活動にいそしむ在日の生活保護者に浪費されています。
在日コリアンは、日本人の血税で働かず暮らしているくせに
「差別だ!参政権をよこせ!」と騒ぎ立てます。
民主党は友愛の精神で、在日コリアンの生活保護をカットすれば財政が楽になるでしょう。
ソース民団公式
URLリンク(web.archive.org)
596:大人の名無しさん
10/07/02 15:33:35 PlZLQOoD
あらゆる芸術ジャンルは、近代後期、すなはち浪漫主義のあとでは、お互ひに気まづくなり、
別居し、離婚した。
純粋性とは、結局、宿命を自ら選ぶ決然たる意志のことだ、と定義してもよいやうに思はれる。
三島由紀夫「純粋とは」より
597:大人の名無しさん
10/07/03 14:46:05 P1fqe8aG
われわれのひそかな願望は、叶へられると却つて裏切られたやうに感じる傾きがある。
少女の驕慢な心は、概ね不測の脆さと隣り合はせに住んでをり、むしろ脆さの鎧である。
三島由紀夫「遠乗会」より
598:大人の名無しさん
10/07/04 10:47:31 b3gCnypc
足るを知る人間なんか誰一人ゐないのが社会で、それでこそ社会は生成発展するのである。
空虚な目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福が存在しない。
男はどんな職業についても、根本に膂力(りよりよく)の自信を持つてゐなくてはならない。
なぜなら世間は知的エリートだけで動いてゐるのではなく、無知な人間に対して優越性を
証明するのは、肉体的な力と勇気だけだからだ。
三島由紀夫「小説家の息子」より
599:大人の名無しさん
10/07/04 10:51:35 b3gCnypc
若い世代は、代々、その特有な時代病を看板にして次々と登場して来たのであつた。
退屈がなければ、心の傷痍は存在しない。戦争は決して私たちに精神の傷を与へはしなかつた。
「芸術」とは人類がその具象化された精神活動に、それに用ひられた「手」を記念するために
与へた最も素朴な観念である。
三島由紀夫「重症者の兇器」より
600:大人の名無しさん
10/07/04 10:51:59 b3gCnypc
芸術とは私にとつて私の自我の他者である。私は人の噂をするやうに芸術の名を呼ぶ。
それといふのも、人が自分を語らうとして嘘の泥沼に踏込んでゆき、人の噂や悪口を
いふはづみに却つて赤裸々な自己を露呈することのあるあの精神の逆作用を逆用して、
自我を語らんがために他者としての芸術の名を呼びつづけるのだ。
これは、西洋中世のお伽噺で、魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙つては甲斐なく、
彼より二三歩離れた林檎の樹を狙ふとき必ず彼の体に矢を射込むことができるといふ秘伝の
模倣でもあるのである。―端的に言へば、私はかう考へる。(きはめて素朴に考へたい。)
生活よりも高次なものとして考へられた文学のみが、生活の真の意味を明かにしてくれるのだ、と。
三島由紀夫「重症者の兇器」より
601:大人の名無しさん
10/07/04 10:55:32 b3gCnypc
世の中には完全に誤解されてゐながら、絶対に誤解されてゐないといふふうに世間に
思はれてゐる人もたくさんゐる。
三島由紀夫「作家と結婚」より
602:大人の名無しさん
10/07/04 10:55:55 b3gCnypc
人間は精神だけがあるのではなくて、肉体がなぜあるのかといふと、神様が人間はなかば
シャイネン(ふりをする)の存在だとしてゐるといふことを暗示してゐると思ふ。
ザイン(存在)だけのものになつたら、シャイネンがほんたうに要らない人間になる。
それならもう社会生活も放棄し、人間生活も放棄したはうがいい。どんなに誠実さうな
人間でも、シャイネンの世界に生きてゐる。だから僕が一番嫌ひなのは、芸術家らしく
見えるといふことだ。芸術家といふものは、本来シャイネンの世界の人間ぢやないのだから。
芸術家らしいシャイネンといふものは意味がない。それは贋物の芸術家にきまつてゐる。
芸術家らしいシャイネンといへば、頭髪を肩まで伸ばして、コール天の背広を着て歩いてゐる
といふのだらうが、そんなのは贋物の絵描きにきまつてゐる。
三島由紀夫「作家と結婚」より
603:大人の名無しさん
10/07/05 10:18:39 Ei/RfNdZ
少年の最初の時期は、異性愛的なものと同性愛的なものが、非常に混在してをります。
私にもごたぶんに漏れず赤紙が来ましたが、即日帰郷になつて帰つて以来、ぱつたり
忘れたやうに、もう二度と来ませんでした。
…それはいつまで待つても来ない恋文のやうなもので、しかしいつ訪れるかわからないのでした。
来るのをおそれながら、みな何となくその赤紙を待つような気持ちにもなつてゐました。
三島由紀夫「わが思春期」より
604:大人の名無しさん
10/07/05 10:18:58 Ei/RfNdZ
窓の外の雨にぬれた田園の景色をながめながら、何もかも見おさめだといふ気がしてゐました。
あんな不思議な感情は、今の若い人は知るまいと思ひます。もう負けるにきまつてゐる
この戦争は、おそらく日本国民の全滅をもつて終るだらうし、目の前にあるものは
惨たんたる破局だけ、要するに死だけでありました。ですから何を見るにも見おさめ
といふ気がしたし、ある楽しみを味はつても、それは最後の味だと思ふのでした。
ですから感覚は生き生きとし、つまらない事物にも、それを見ることに喜びを感じ、
ちやうど雨季に入りかけた木々の緑のしたたりも、実に新鮮に目に映るのでした。
三島由紀夫「わが思春期」より
605:大人の名無しさん
10/07/05 10:19:18 Ei/RfNdZ
新人の辛さは、「待たされる」辛さである。
青春の特権といへば、一言を以てすれば、無知の特権であらう。
どんな人間にもおのおののドラマがあり、人に言へぬ秘密があり、それぞれの特殊事情がある、
と大人は考へるが、青年は自分の特殊事情を世界における唯一例のやうに考へる。
三島由紀夫「私の遍歴時代」より
606:大人の名無しさん
10/07/05 10:19:36 Ei/RfNdZ
小説は書いたところで完結して、それきり自分の手を離れてしまふが、芝居は書き了へた
ところからはじまるのである。
芝居の仕事の悲劇は、この世でもつとも清純なけがれのない心が、一度芝居の理想へ
向けられると、必ずひどい目に会ふのがオチだといふことである。
芝居の世界は実に魅力があるけれど、一方、おそろしい毒素を持つてゐる。
三島由紀夫「私の遍歴時代」より
607:大人の名無しさん
10/07/05 10:19:55 Ei/RfNdZ
大体私は「興ひたれば忽ち成る」といふやうなタイプの小説家ではないのである。
いつもさはぎが大きいから派手に見えるかもしれないが、私は大体、銀行家タイプの
小説家である。このごろの銀行が、派手なショウ・ウィンドウをくつつけたりしてゐる姿を、
想像してもらつたらよからう。
忘却の早さと、何ごとも重大視しない情感の浅さこそ、人間の最初の老ひの兆(きざし)だ。
文学では、(日本の芸能の多くがさうであるやうに)、肉体が老ひ朽ちてから、芸術の
青春がはじまるといふ恵みがある。
三島由紀夫「私の遍歴時代」より
608:大人の名無しさん
10/07/06 11:37:31 6VmwnrUU
知的なものと感性的なもの、ニイチェの言つてゐるアポロン的なものとディオニソス的なものの
どちらを欠いても理想的な芸術ではない。
三島由紀夫「わが魅せられたるもの」より
金のためだつて! そんな美しい目的のためには文学なんて勿体ない。
私たちは原稿の代償として金を受取るとき、いつも不当な好遇と敬意とを居心地わるく
感じなければならないのです。蹴飛ばされる覚悟でゐたのがやさしく撫でられた狂犬のやうにして。
三島由紀夫「反時代的な芸術家」より
609:大人の名無しさん
10/07/06 11:38:51 6VmwnrUU
政治問題に関する言論を規制しようとする動きがあるときには、必ず、これを
カムフラージュするために、道徳的偽装がとられ、あはせてエロティシズムや風俗一般に
対する規制が行はれるのが通例である。
三島由紀夫「危険な芸術家」より
610:大人の名無しさん
10/07/06 11:39:30 6VmwnrUU
エレキは有害で、青少年に対して危険であり、ベートーヴェンは有益で、何ら危険がないのみか
人間性を高めるといふ考へは、近代的な文化主義の影響を受けた考へであつて、
ベートーヴェンのベの字もわからない俗物でも、かういふ議論は鵜呑みにするし、
現代の政府の文化政策もこの線を基本的に離れえないことは明白である。
しかし毒であり危険なのは音楽自体であつて、高尚なものほど毒も危険度も高いといふ考へは、
ほとんど理解されなくなつてゐる。政治と芸術の真の対立状況は実はそこにしかないのである。
してみると日本には、真の危険な芸術家は一人もゐないといふことになり、政府も
そんなに心配する必要はなし、万事めでたしめでたし。
三島由紀夫「危険な芸術家」より
611:大人の名無しさん
10/07/06 11:40:00 6VmwnrUU
現代はいかなる時代かといふのに、優雅は影も形もない。それから、血みどろな人間の
実相は、時たま起る酸鼻な事件を除いては、一般の目から隠されてゐる。病気や死は、
病院や葬儀屋の手で、手際よく片附けられる。宗教にいたつては、息もたえだえである。
……芸術のドラマは、三者の完全な欠如によつて、煙のやうに消えてしまふ。
…現代の問題は、芸術の成立の困難にはなくて、そのふしぎな容易さにあることは、
周知のとほりである。それは軽つぽい抒情やエロティシズムが優雅にとつて代はり、
人間の死と腐敗の実相は、赤い血のりをふんだんに使つたインチキの残酷さでごまかされ、
さらに宗教の代りに似非論理の未来信仰があり、といふ具合に、三者の代理の贋物が、
対立し激突するどころか、仲好く手をつなぐにいたる状況である。そこでは、この贋物の
三者のうち、少くとも二者の野合によつて、いとも容易に、表現らしきもの、芸術らしきもの、
文学らしきものが生み出される。かくてわれわれは、かくも多くのまがひものの氾濫に、
悩まされることになつたのである。
三島由紀夫「変質した優雅」より
612:大人の名無しさん
10/07/06 11:40:17 6VmwnrUU
能は、いつも劇の終つたところからはじまる。
三島由紀夫「変質した優雅」より
性と解放と牢獄との三つのパラドックスを総合するには芸術しかない。
三島由紀夫「恐ろしいほど明晰な伝記―澁澤龍彦著『サド侯爵の生涯』」より
613:大人の名無しさん
10/07/06 11:42:53 6VmwnrUU
青年の冒険を、人格的表徴とくつつけて考へる誤解ほど、ばかばかしいものはない。
三島由紀夫「堀江青年について」より
すべてのスポーツには、少量のアルコールのやうに、少量のセンチメンタリズムが含まれてゐる。
三島由紀夫「『別れもたのし』の祭典―閉会式」より
614:大人の名無しさん
10/07/06 11:43:13 6VmwnrUU
小説家における文体とは、世界解釈の意志であり、鍵なのである。
強大な知力は世界を再構成するが、感受性は強大になればなるほど、世界の混沌を
自分の裡に受容しなければならなくなる。
戦争がをはつたとき、氏は次のやうな意味の言葉を言はれた。
「私はこれからもう、日本の悲しみ、日本の美しさしか歌ふまい」―これは一管の
笛のなげきのやうに聴かれて、私の胸を搏つた。
三島由紀夫「永遠の旅人―川端康成氏の人と作品」より
615:大人の名無しさん
10/07/07 11:07:02 PvnXQ0se
お節介は人生の衛生術の一つです。
お節介焼きには、一つの長所があつて、「人をいやがらせて、自らたのしむ」ことができ、
しかも万古不易の正義感に乗つかつて、それを安全に行使することができるのです。
人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないといふ人の人生は永遠にバラ色です。
なぜならお節介や忠告は、もつとも不道徳な快楽の一つだからです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 うんとお節介を焼くべし」より
現代では何かスキャンダルを餌にして太らない光栄といふものはほとんどありません。
世間には、外貌と内側の全然一致しない人もある。
三島由紀夫「不道徳教育講座 醜聞を利用すべし」より
616:大人の名無しさん
10/07/07 11:08:01 PvnXQ0se
友人を裏切らないと、家来にされてしまふといふ場合が往々にしてある。大へん永つづきした
美しい友情などといふやつを、よくしらべてみると、一方が主人で一方が家来のことが多い。
三島由紀夫「不道徳教育講座 友人を裏切るべし」より
世間に尽きない誤解は、
「殺人そのもの」と、
「殺つちまへと叫ぶこと」
と、この二つのものの間に、ただ程度の差しか見ないことで、そこには実は非常な質の
相違がある。
三島由紀夫「不道徳教育講座 『殺つちまへ』と叫ぶべし」より
およそ自慢のなかで、喧嘩自慢ほど罪のないものはない。
三島由紀夫「不道徳教育講座 喧嘩の自慢をすべし」より
617:大人の名無しさん
10/07/07 11:08:21 PvnXQ0se
戦争も大事件も、必ずしも高尚な動機や思想的対立から起るのではなく、ほんのちよつとした
まちがひから、十分起りうるのです。そして大思想や大哲学は、概して大した事件も
ひきおこさずに、カビが生えたまま死んでしまひます。
運命はその重大な主題を、実につまらない小さいものにおしかぶせてゐる場合があります。
そしてわれわれは、あとになつてみなければ、小さな落度が重大な結果につながつてゐたか
どうかを知ることができません。
人間の意志のはたらかないところで起る小さなまちがひが、やがては人間とその一生を
支配するといふふしぎは、本当は罪や悪や不道徳よりも、本質的におそろしい問題なのであります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 0の恐怖」より
618:大人の名無しさん
10/07/07 11:32:41 PvnXQ0se
作家といふものは、いつもその時代と、娼婦のやうに、一緒に寝るべきであるか?
もちろん小説には、まぬがれがたい時世粧といふものは要る。しかし反動期における
作家の孤立と禁欲のはうが、もつと大きな小説をみのらせるのではないか?
……それにしても、作家は一度は、時代とベッドを共にした経験をもたねばならず、
その記憶に鼓舞される必要があるやうだ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より
619:大人の名無しさん
10/07/07 11:32:57 PvnXQ0se
絶望から人はむやみに死ぬものではない。
典型的な青年は、青春の犠牲になる。十分に生きることは、生の犠牲になることなのだ。
生の犠牲にならぬためには、十分に生きず、フランス人のやうに吝嗇を学ばなければならぬ。
貯蓄せねばならぬ。卑怯な人間にならなければならぬ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より
620:大人の名無しさん
10/07/07 11:33:24 PvnXQ0se
芸術は認識の冷たさと行為の熱さの中間に位し、この二つのものの媒介者であらうが、
芸術は中間者、媒介者であればこそ、自分の坐つてゐる場所がひろびろと、居心地の
よいことをのぞまず、むしろつねに夢みてゐるのは、認識と行為とがせめぎ合ひ、
(那須の)与市のそれのやうに、ぎりぎりの決着のところで結ばれて、芸術を押しつぶして
しまふことなのである。そして芸術がいつもかかるものから真の養分を得て、よみがへつて
来たといふ事実以上に、奇怪な不気味なことがあらうか?
三島由紀夫「小説家の休暇」より
621:大人の名無しさん
10/07/08 12:17:32 RaWA452M
誰も死に打ち克つことができないとすれば、勝利の栄光とは、純現世的な栄光の極致にすぎない。
姿勢を崩さなければ見えない真実がこの世にはあることを、私とて知らぬではない。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
622:大人の名無しさん
10/07/08 12:24:25 RaWA452M
あひかはらず忙しく往来してゐる社会の海の中に、ここだけは孤島のやうに屹立して感じられる。
自分が憂へる国は、この家のまはりに大きく雑然とひろがつてゐる。自分はそのために
身を捧げるのである。しかし自分が身を滅ぼしてまで諫めようとするその巨大な国は、
果してこの死に一顧を与へてくれるかどうかわからない。それでいいのである。
ここは華々しくない戦場、誰にも勲しを示すことのできぬ戦場であり、魂の最前線だつた。
三島由紀夫「憂国」より
623:大人の名無しさん
10/07/09 23:39:37 zCHJujUW
少年がすることの出来る―そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、
おもふに恋愛と不良化の二つであらう。恋愛のなかへは、祖国への恋愛や、一少女への
恋愛や、臈(らふ)たけた有夫の婦人への恋愛などがはひる。また、不良化とは、
稚心を去る暴力手段である。
神が人間の悲しみに無縁であると感ずるのは若さのもつ酷薄であらう。しかし神は
拒否せぬ存在である。神は否定せぬ。
三島由紀夫「檀一雄『花筐』―覚書」より
無秩序が文学に愛されるのは、文学そのものが秩序の化身だからだ。
三島由紀夫「恋する男」より
624:大人の名無しさん
10/07/10 00:08:13 DCvXdFbm
日本近代知識人は、最初からナショナルな基盤から自分を切り離す傾向にあつたから、
根底的にデラシネ(根なし草)であり、大学アカデミズムや出版資本に寄生し、一方では
その無用性に自立の根拠を置きながら、一方では失はれた有用性に心ひそかに憧憬を寄せてゐる。
日本知識人が自己欺瞞に陥るくらゐなら、死んだはうがよからう、と嘲笑はれてゐる声を
きかなければ、知識人の資格はない。
知識人の唯一の長所は自意識であり、自分の滑稽さぐらいは弁えてゐなくてはならぬ。
三島由紀夫「新知識人論」より
625:大人の名無しさん
10/07/10 00:08:31 DCvXdFbm
命を賭けて守れぬやうな思想は思想と呼ぶに値しない。
知識人の任務は、そのデラシネ性を払拭して、日本にとつてもつとも本質的な「大義」が何かを
問ひつめてゐればよいのである。
…権力も反権力も見失つてゐる、日本にとつてもつとも大切なものを凝視してゐれば
よいのである。暗夜に一点の蝋燭の火を見詰めてゐればよいのである。断固として
動かないものを内に秘めて、動揺する日本の、中軸に端座してゐればよいのである。
私はこの端座の姿勢が、日本の近代知識人にもつとも欠けてゐたものであると思ふ。
三島由紀夫「新知識人論」より
626:大人の名無しさん
10/07/12 11:38:39 mUnkhPym
行動といふものはそれ自体の独特の論理を持つてゐる。したがつて、行動は一度始まり出すと、
その論理が終るまでやむことがない。
目的のない行動はあり得ないから、目的のない思考、あるひは目的のない感覚に生きて
ゐる人たちは行動といふものを忌みきらひ、これをおそれて身をよける。思想や論理が
ある目的を持つて動き出すときには、最終的にはことばや言論ではなくて、肉体行動に
帰着しなければならないことは当然なのである。
行動は一瞬に火花のやうに炸裂しながら、長い人生を要約するふしぎな力を持つてゐる。
真に有効な行動とは、自分の一身を犠牲にして、最も極端な効果をねらつたテロリズム以外には
なくなるであらう。
三島由紀夫「行動学入門」より
627:大人の名無しさん
10/07/12 11:38:55 mUnkhPym
死の向ふ側にわれわれは自分の個人の効果といふものを、あるひは個人の利得といふものを
考へることはできないのであるから、政治的効果といふものは初めから超個人的なところに
求められなければならない。
超個人的な効果をねらつて個人が自己犠牲を払ふといふところにしか、政治的効果がない。
われわれは全く無効だと覚悟した行動にしか真の政治的有効性といふものを発見しないの
かもしれない。
無効性に徹することによつてはじめて有効性が生じるといふところに、純粋行動の本質があり、
そこに正義運動の反政治性があり、「政治」との真の断絶があるべきだ、と私は考へる。
三島由紀夫「行動学入門」より
628:大人の名無しさん
10/07/12 11:39:11 mUnkhPym
賭けとは全身全霊の行為であるが、百万円持つてゐた人間が、百万円を賭け切るときにしか、
賭けの真価はあらはれない。なしくづしに賭けてゐつたのでは、賭けではない。
行動がことばでないと同様に、待機もことばではない。それはただ濃密な平板な、人生で
最も苦しい時間なのである。
自分の美しさが決して感じられない状況においてだけ、美がその本来の純粋な形をとる。
二度と繰り返されぬところにしか行動の美がないならば、それは花火と同じである。
しかしこのはかない人生に、そもそも花火以上に永遠の瞬間を、誰が持つことができやうか。
三島由紀夫「行動学入門」より
629:大人の名無しさん
10/07/12 11:39:35 mUnkhPym
どんな変革も、個人の心の中に初めてともつた火から広がつていくものだ。
すべてのものに始めと終りがあるやうに、行動も一度幕を開けたらば幕を閉じなければならない。
行動は、たびたび繰り返したやうに、瞬時に終るものであるから、その正否の判断は
なかなかつかない。歴史の中に埋もれたまま、長い年月がたつても正当化されない行為は
たくさんある。
行動はことばで表現できないからこそ行動なのであり、論じても論じても、論じ尽くせない
からこそ行動なのである。
三島由紀夫「行動学入門」より
630:大人の名無しさん
10/07/13 01:22:45 H3AsXmUx
国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬといふのは、
政治的鉄則であるやうに思はれる。そして一時的に中道政治を装つて、国民を安心させて、
一気にベルト・コンベアーに載せてしまふのである。
ヒットラーは政治的天才であつたが、英雄ではなかつた。英雄といふものに必要な、
爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けてゐた。
ヒットラーは、二十世紀そのもののやうに暗い。
三島由紀夫「『わが友ヒットラー』覚書」より