08/07/01 21:33:17
【1区】
杉村のバックにいる飯島勲元首相秘書官が宗男に支援の要請をしている。
杉村は公認が得られなかった場合、無所属で当選した後、自民に復党するとしており、
大地の公認を得ること無いとしているが、大地の支援を受けることについては含みを持たせている。
一方、横路は参院選では終盤になって多原の選挙を集中的にやっており、
これは宗男も肯定的に評価している。
【2区】
自民と大地の選挙協力が最も成立しやすいとみられる選挙区。
現在も宗男と吉川のパイプは切れていない。
宗男は選挙協力において「昔からの関係」を重視するとしており、
消去法でいくと自民で該当するのは2区・6区ということになる。
【3区】
知事選で応援した荒井を推すのが自然か。
【4区】
鉢呂は選挙協力の窓口。
統一地方選では大地は小樽市議選に2名の候補を立て1人が当選。
4区への影響力拡大に勤しんでいる。
【5区】
自民党時代は町村と宗男の代理戦争の主戦場となった地域。
後援会を整備し選挙での影響力行使を狙うが、実際にどう動くかは今のところ見えない。
113:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/07/01 21:52:30
【6区】
大地が先導したアイヌ民族の先住民決議では今津が鳩山由紀夫や紙智子と共に取りまとめ役となり、
道路特定財源の問題でも宗男と共闘した。昔からの関係もあり、今津と大地の選挙協力が有望な選挙区だが、
佐々木側も大地にアプローチをしている。宗男は名指しで6区の連合票の要求もしており、
これは佐々木との選挙協力を念頭に置いたものである。
【7区】
釧路市長の伊東が古賀選対委員長と会談するなど、伊東出馬への流れが出来つつある。
暫定支部長の武部は伊東の無所属(自民推薦)での出馬もあるとするが、
宗男は蛯名道議の擁立を求めており、伊東との選挙協力の可能性を否定している。
伊東が出馬の場合は、仲野との選挙協力か、
あるいは大地の独自候補擁立による三つ巴の戦いのどちらかになりそうだ。
宗男自身の7区からの出馬も一部で取りざたされるが、可能性は低い。
【8区】
逢坂と宗男の折り合いは悪くはないようだ。
2004年の参院選では、佐藤健治を支援する志師会を嫌う阿部派が
中川義雄ではなく宗男を支援する動きが出た。
【9区】
「鳩熊戦争」と呼ばれた鳩山と宗男・岩倉の戦いの場となった因縁の選挙区で、
前回の総選挙でも大地は岩倉を支援したが、
最近は鳩山と宗男の関係は急速に改善している。
アイヌ決議でも成立へ力を発揮したのは鳩山である。
川畑と宗男の接点は無く、「鳩熊戦争」の再燃はないものと見られる。
114:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/07/02 00:19:08
【10区】
参院選の対応を巡って小平との関係は険悪となったままで、武部直系の飯島との関係も悪い。
宗男は唯一10区に関してはどちらの候補とも選挙協力をしないことを明言しており、
道教大岩見沢校卒の多原を含めた独自候補の擁立も示唆している。
【11区】
大地と石川の選挙協力の成立が有力となりつつあるが、まだ不透明な部分もある。
石川は大地の会合やイベントに積極的に参加しており、宗男も石川について支持者に対し高い評価をしている。
過去の経緯もあり、11区での民主との選挙協力は12区での協力よりもハードルは高いが
「自分は頭下げなくても入るぞと思っている人は、(大地の集まりに)来ないわけでありますから。
しかし私は、そこに心も票も行かんと思ってますよ」と中川昭一に強い牽制をしており、
民主との選挙協力への地ならしは進む。
また、反昭一感情の強い古くからの宗男支持者の中には、山田麟太郎市議や池北3町の支持者などを中心に、
独自に石川を支援する動きも出てきている。
【12区】
大地と松木との選挙協力が成立する可能性が高い。
昨年、武部の地元・斜里で開かれた松木の国政報告会に宗男が出席したのを皮切りに、
大地の会合への松木がびっしりと顔を出しており、
12区での松木への傾斜は他の選挙区に比べ際立っている。
宗男は武部への批判を繰り返しており、12区は民主と大地の選挙協力が確実との見方が強い。
網走市選出の民主道議・鰹谷と宗男が昔から「敵(武部)の敵は味方」ということで一定のパイプがある点も好材料。
115:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/07/03 03:47:24
■個別選挙区ごとの新党大地の選挙協力の情勢
【1区】
杉村のバックにいる飯島勲元首相秘書官が宗男に支援の要請をしている。
杉村は公認が得られなかった場合、無所属で当選した後、自民に復党するとしており、
大地の公認を得ること無いとしているが、大地の支援を受けることについては含みを持たせている。
宗男と横路の関係はあまり良くなかったが、横路は参院選で終盤になって多原の選挙を集中的にやっており、
これについては宗男も肯定的に評価している。
【2区】
自民と大地の選挙協力が最も成立しやすいとみられる選挙区。
現在も宗男と吉川のパイプは切れていない。
宗男は自民との選挙協力に関連して「昔からの関係」を重視するとしており、
消去法でいくと自民で該当するのは2区・6区ということになる。
【3区】
知事選で応援した荒井を推すのが自然か。
【4区】
鉢呂は選挙協力の窓口。
統一地方選では大地は小樽市議選に2名の候補を立て1人が当選しており、
4区への影響力拡大に勤しんでいる。
【5区】
自民党時代は町村と宗男の代理戦争の主戦場となった地域。
後援会を整備し選挙での影響力行使を狙うが、実際にどう動くかは今のところ見えない。
116:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/07/03 03:48:09
【6区】
大地が先導したアイヌ民族の先住民決議では今津が鳩山由紀夫らと共に取りまとめ役となり、
道路特定財源の問題でも宗男と共闘した。昔からの関係もあり、今津と大地の選挙協力が有望な選挙区だが、
民主も道議が大地の会合に出席し挨拶するなど選挙協力に向けアプローチをしている。
また、道議選で民主党が名寄市から擁立した堀江英一は大地にも近い候補である。
【7区】
釧路市長の伊東が古賀選対委員長と会談するなど、伊東出馬への流れが出来つつある。
暫定支部長の武部は伊東の無所属(自民推薦)での出馬もあるとするが、
宗男は蛯名道議の擁立を求めており、伊東との選挙協力の可能性を否定している。
伊東が出馬の場合は、仲野との選挙協力か、
あるいは大地の独自候補擁立による三つ巴の戦いのどちらかになりそう。
宗男自身の出馬も一部で取りざたされるが、可能性は低い。
【8区】
逢坂と宗男の折り合いは悪くはないようだ。
2004年の参院選では、佐藤健治を支援する志師会を嫌う阿部派が
中川義雄ではなく宗男を支援する動きが出た。
【9区】
「鳩熊戦争」と呼ばれた鳩山と宗男・岩倉の戦いの場となった因縁の選挙区で、
前回の総選挙でも大地は岩倉を支援したが、
最近は鳩山と宗男の関係は急速に改善している。
アイヌ決議でも採択へ力を発揮したのは鳩山である。
少なくとも鳩熊戦争の再燃は無さそうだ。
117:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/07/03 03:49:07
【10区】
宗男は小平について「お父さんが立派だったからといって息子も立派ということは無い」と批判するなど、
参院選の対応などを巡って関係は険悪となったまま。
また、「青ヶ島を何とかしたいと手を上げて行った人が2年も経たない内に北海道に来た」と
武部直系の飯島に対しても厳しい評価をしている。
宗男は唯一10区に関してはどちらの候補とも選挙協力をしないことを明言しており、
道教大岩見沢校卒の多原を含めた独自候補の擁立も示唆している。
【11区】
大地と石川の選挙協力の成立が有力となりつつあるが、まだ不透明な部分もある。
石川は大地の会合やイベントに積極的に参加しており、宗男も支持者に対し石川を高く評価する発言をしている。
過去の経緯もあり、11区での民主との選挙協力は12区での協力よりもハードルは高いが
「自分は頭下げなくても入るぞと思っている人は、(自分のところに)来ないわけでありますから。
しかし私は、そこに心も票も行かんと思ってますよ」と中川昭一へ強い牽制をしており、
民主との選挙協力への地ならしは進む。
また、反昭一感情の強い古くからの宗男支持者の中には、元道議の山田麟太郎市議や池北3町の支持者などを中心に、
独自に石川を支援する動きも出てきている。
【12区】
大地と松木との選挙協力が成立する可能性が高い。
昨年、武部の地元・斜里で開かれた松木の国政報告会に宗男が出席したのを皮切りに、
大地の会合へも松木がびっしりと顔を出しており、
12区での松木への傾斜は他の選挙区に比べ際立っている。
宗男は武部への批判を繰り返しており、12区の選挙協力はもう引き返せないところまで来ている感も。
網走市選出の鰹谷道議と一定のパイプがあることも好材料。
118:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/08/09 03:10:08
119:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/09/13 23:18:37
山口は当選後、工場誘致条例の改正を行い、奨励金を廃止。企業との訴訟に発展した。
市役所の中でも親山口と反山口とで争いが激しくなり、市役所の組合が分裂。
市役所内で総評系と同盟系の労組が激しい争いを繰り広げる全国的にも珍しいマチとなり、
反企業的な山口と企業労組を基盤とする民社党の対立も先鋭化。社共VS自民民社の構図が強まった。
120:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/09/13 23:43:37
山口哲夫は市職組委員長から自治労本部教宣部長を経て37歳で市長に初当選。
前任の市長も社会党系だったが、その後継の助役、渡部五郎が社会党の推薦を断り、
自民党の推薦のみを受けてしまったため、社会党は独自候補の擁立を迫られた。
そこで当時浪人中だった岡田利春の擁立に向けた動きが出たが、本人は固辞し、反対論も多く擁立は失敗。
釧路にゆかりのある北教組の池端清一や釧路出身で後の総評議長の堀井利勝の擁立を図るがこれも失敗。
そもそも岡田利春は自民との相乗りは容認姿勢だったが、山口は反対であった。
結局、最強硬派の山口が出馬することとなり、37歳で初当選した。
自ら応援に駆けつけた横浜市長の飛鳥田一雄は、山口市政を“革新市政の北極星”と評価した。
121:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/10/17 14:37:03
相乗り
↓
えぴな動けず
↓
大地民主×
122:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/10/20 18:35:23
1969
2002 10月 市役所ユニオン
123:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/10/28 04:48:32
総選挙で敗北し政権を取れなかった新進党は求心力が失われていく。
羽田孜が新進党を離党し太陽党を結党した際は、羽田に近い北村の離党も取りざたされた。
この時は北村は新進党に残ったが、釧路市長のポストを手放してしまい、
中央直結で釧路での存在感を増していく宗男の前に、北村の焦りは募った。
結局97年に北村は新進党を離党、その後自民党に復党する。
残留した鰐淵は一年生議員のリーダー格として小沢への支持を鮮明にし、新進党解党後は自由党に参加する。
鰐淵の国政進出は結果的に北村にとって逆効果となってしまい、
北村の初当選時から続いた長い蜜月関係にも終止符が打たれた。
2000年の総選挙は北村と宗男の間でコスタリカ方式が採用され、北村が選挙区から出馬した。
激戦が予想されたが、選挙区から出た鰐淵は予想外に票が伸び悩み、北村が危なげなく勝利した。
宗男の釧路での政治力はますます増していたものの、北村は当面の危機を脱した。
秋の市長選は、綿貫に自民・民主・公明の三党が相乗りし、共産党候補に圧勝した。
kyo
124:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/11/01 04:55:20
【釧路市長選の歴史】⑥
2002年は前半には綿貫の後ろ盾である宗男の失脚と自民離党・逮捕、
そして後半には選挙違反で綿貫の辞職・逮捕と、釧路の政治に激震が走った年だった。
二期目の目玉として釧路町との合併問題に力を入れていた綿貫であったが、
釧路町長の菅原澄は“釧釧合併”に消極的だった。10月には町長選が控えており、菅原は三選を目指していた。
菅原は北村派であったのに対し、合併推進を掲げ立候補した町議の倉井俊勝は宗男派。
綿貫はみすみす菅原を当選させては合併が遠のいてしまうと市役所ぐるみで町長選に介入した。
結果は菅原の圧勝だった。選挙後、ほどなく警察は選挙違反の摘発に動いた。
地位利用と事前運動の容疑で健康福祉部長の逮捕を皮切りに助役の柿崎英延も逮捕され、
綿貫は辞職を表明。11月には綿貫も逮捕され、裁判で容疑を認め執行猶予付きの有罪が確定した。
この選挙違反事件によって、“釧釧合併”の実現はより一層遠のくこととなった。
自民党は非常事態だとして北村主導で自民道議の伊東良孝を擁立した。
北村派で自民市議の上田徳郎も出馬に意欲を示したが、北村に説得され保守は一本化した。
伊東は95年に市議から道議初当選。この時の綿貫は北村系無所属、伊東は宗男系自民であった。
綿貫が市長に転出後の99年の道議選では、宗男秘書の蝦名大也が道議選に出馬、当選した。
蝦名と競合するようになった伊東は宗男の系列を離脱し、北村派に接近していった。
民主党は女性団体幹部の平間育子の擁立を目指したものの、出馬を固辞され、
代わって民主市議の藤原勝子が出馬した。共産党も独自候補を擁立した。
公明党は釧路選出の道議、伊藤武一が伊東と宗男の過去の関係を問題視したこともあり、自主投票となった。
自民、民主両陣営とも綿貫市政の継承を訴えた選挙戦は、伊東が大差をつけて制した。
125:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/11/01 04:56:45
鰐淵のその後
ⅲ兄弟
無投票当選
岡田
126:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/11/01 05:31:07
小畑
政策秘書:今津寛史
第一秘書:今津寛介
第二秘書:星野勇樹
村上茂利・・・86年に落選後、再起を目指しものの体調が悪化し、金田英行を後継に指名した後死去
上草義輝・・・
八田
127:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/11/01 05:32:40
大地【推薦候補】
木村彰男(●)、小谷毎彦(○)、鰹谷忠(○)、日下太朗(○)、生田目幸男(●)、井上真澄(●)、
堀江英一(●)、中山智康(○)、織田展嘉(○)、福原賢孝(○)、田島央一(○)
大地【協力候補】
鎌田公浩(●)、松山丈史(●)、八田盛茂(○)、加藤礼一(○)、東国幹(○)、板谷實(○)、 蛯名大也(○)、
瀬能晃(●)、柿木克弘(○)、前田康吉(●)、竹内英順(○)、小池昌(●)、喜多龍一(○)
公明推薦
藤沢澄雄(○)、山本雅紀(○)、板谷實(○)、岩間英彦(●)、前田康吉(●)
社民推薦
日下太朗(○)、織田展嘉(○)、井上真澄(●)、滝口信喜(○)、
橋本豊行(○)、木村峰行(○)、蛯名清悦(○)、向井昭彦(●)
市民ネット推薦
小林郁子(○)
札幌市議会
大地推薦
宝本英明(○)、篠田江里子(○)、山口和佐(○)、飯田佳宏(●)
社民推薦
長谷川衛(○)、藤川雅司(○)、北川一夫(●)、藤原広昭(○)、篠田江里子(○)
山口和佐(○)、畑瀬幸二(○)、村上勝志(●)、小川直人(○)、恩村一郎(○)、
猪熊輝夫(○)、三宅由美(○)、福士勝(○)
維新政党・新風支持
稲津定俊(●)、川田匡桐(●)
128:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/11/01 16:48:34
2003年の総選挙では、宗男はガンの治療のため出馬できず、
宗男の政治的にはもはや死んだかと思われた。
この選挙では仲野が大きく票を伸ばし、比例で復活した。
釧路では岡田利春以来の社会党系議員の誕生だった(息子の篤は落選後道議に)。
引退した鰐淵が誰かの支持を表明することはなかったが、
仲野は小沢に近かった鰐淵の票を更に獲得するために一新会入りした。
鰐淵は2005年の3月に68歳で永眠する。
宗男は2004年の参院選で大量得票し、
与党議員だった今までとは違う形で釧路での影響力が復活した。
2005年の総選挙で宗男は新党大地を結成し比例で当選。選挙区では仲野を支持。
選挙に強い北村もこの連合軍には敵わなかった。
中選挙区時代から続いた宗男と北村の対決に決着がつき、北村は落選後引退し釧路を離れる。
かつて北村、鰐淵、綿貫の三人は兄弟とまで言われたが、
三人とも最後は仲違いし、不本意な形で政界から退くこととなった。
市長の伊東は釧路町抜きでの周辺市町村との合併を実現した。
2005年10月にはそれに伴う市長選が行われたが、対抗馬は現れず、釧路市政史上初めての無投票当選となった。
宗男も「伊東さんが適役」だとして無投票当選を後押しした。
伊東長期政権が成立する気配もあったのだが、北村引退後は周囲を取り巻く状況は一変する。
北村派や公明党は伊東を衆院選の候補とすべく動き出し、
大地の影響力拡大と蝦名の衆院選出馬を狙う宗男は伊東を市長に押しとどめようとする。
蝦名の仲野支援疑惑で小畑と蝦名は戦争状態となる。
北村が去った後も北村派と宗男派の対立構図は今なお続いている。
〔終わり〕
129:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
08/12/13 05:30:20
【北見市長選の歴史】①
1947年の第一回統一地方選では、
保守系の伊谷半次郎が社会党の候補者らを抑え初当選した。
伊谷は東急電鉄創業者の五島慶太とパイプを築き、東急進出の下地をつくった。
順調に四期の当選を重ね、1963年の市長選で引退。
伊谷の後継には商工会議所会頭の滝野啓次郎が立候補した。
一方、社会党は北教組から41歳の宇佐美福生を擁立した。
選挙の結果、わずか19票差で滝野が激戦を制した。
無効票の中には、伊谷市政下で助役を務めた宇佐美の父、庫ニの名を書いた票が
33票もあり、社会党にとっては悔やんでも悔やみきれない敗北となった。
その4年後には宇佐美が二千票差で雪辱を果たし、社会党市政が誕生。
同様に革新市政の帯広、旭川、釧路とともに“革新四兄弟”と呼ばれるようになる。
1971年の市長選では伊谷元市長の息子、喜美雄と対決し、九百票差で再選した。
1975年の市長選では保守陣営は前市議会議長の寺前武雄を擁立し、
宇佐美の三選を阻んで保守が市政を奪還した。宇佐美は政界を引退した。
その後寺前は三期連続で当選し、1987年の市長選で引退した。
1963年 1967年
滝野 啓次郎 無所属 17,117 宇佐美 福生 社会党 20,694
宇佐美 福生 社会党 17,098 滝野 啓次郎 無所属 18,588
景川 弘道 共産党 495
1971年 1975年
宇佐美 福生 社会党 24,278 寺前 武雄 無所属 28,159
伊谷 喜美雄 無所属 23,408 宇佐美 福生 社会党 25,691
130:あぼーん
あぼーん
あぼーん
131:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
09/01/25 10:38:48
132:おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ
09/02/08 04:43:17
田渕 洋一さん(たぶち・よういち=元道議)(01/26 06:54)
24日午後3時、心不全のため死去、58歳。士別市出身。
自宅は上川管内当麻町5東4。通夜は27日午後6時、告別式は28日午前10時から、
いずれも当麻町4東3の町武道館で。喪主は妻忍(しのぶ)さん。
国会議員秘書を経て、1999年から2007年まで道議を2期務めた。
URLリンク(www.hokkaido-np.co.jp)