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その直後、彼らにとって最も重要な作品となる『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツクラブ・バンド』
のために再び集結。しかし、この頃からビートルズの内部構造は、目に見えないところで、
驚くほど複雑化していったのである。
アルバムのコンセプトはポールの発案だった。そしてジョンは、収録曲の中で一番の傑作である
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を書いたにもかかわらず、絶望的だったと後に語っている。
「『サージェント~』の時、ポールが自信に満ちているのに対し、自分は耐え難い何かを抱えていた」。
自分をギリギリまで追い込んで、浮き上がるか、沈むか、というのがジョンのやり方だ。
ただ、ジョンは本当に人生の岐路にいた。自分が愛のない、退屈な家庭生活に束縛されていると
思い込んでいた(62年に最初の結婚をしたジョンだったが、愛がなかったのは彼のほうで、
シンシア・パウエルは彼のことを心から愛していた)。また家庭に縛られることなく、有名人として
生活を謳歌し、流行最先端のイベントに出席し、前衛的な音楽や芸術に接しているポールに
差を付けられているとも感じていた。
Rolling Stone 「ザ・ビートルズ徹底検証 解散40年目の真実」より