09/02/07 06:11:11 Cs4dqTIF
父親と話していると、計算機としてのコンピュータと話している気になります。
実質なんてものは無く、それはこういうものだ、という的確な回答が返ってくるのみです。
判断を私に委ねてきたことは一度もありません。自分の役割の範囲内でのみ語ってくるだけです。
父親は私を、自分の子供だと思っています。しかし、もしそれがどういうことか、と問えば、
おそらく口ごもるでしょう。一般に親は子供を教育したり、心配したりするものだといいます。
確かに学費が大学まで出してもらったし、反社会的なことでない限り、何かを否定されたことが
ありませんが、その実質を感じたことは今まで一度もありません。
あの人も、今まで誰かを実質好きになったことは無いでしょう。
科学と哲学の境目にクオリアを扱う分野があるのだとしたら、どちらにも解決策を
求められないことになりますね。もう「日常」しか残っていないのかもしれません。