08/11/14 13:13:42 /+evtMRI
麻生邸に向かって静かに歩いていた仲間が突然逮捕された状況を説明している若者に、そもそ
も警察はと、百年一日の「本質」論を繰り返してきたから、運動は負け続けてきたのではないか。
そうした反省も緊張感もないのは、自分たちが「旧左翼」となってしまったからだろう。唯一と言っ
ていいほどの勝った例は、警察官職務執行法改正案、いわゆる警職法に反対する闘いであり、そ
れは「デートもできない警職法」という、本質と状況を見事に噛み合わせたキャッチフレーズを生み
出したからだった。
わが師の久野収は、ロジックと共にレトリックの必要性を強調した。本質だけを説いていればわか
るはずだというのでは、あまりにも単純である。その状況と組み合わせて本質を語ることが必要なの
であり、そこが「旧旧左翼」や「新旧左翼」には決定的に欠如している。あの会で「素人の乱」の松本
哉は「貧乏人が金持ちの家を見に行くと逮捕されるが、金持ちが貧乏人の家を見に行っても逮捕さ
れない」と言った。こうした呼びかけにこそ学ぶべきではないか。
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