08/02/13 01:29:55
まだ智頭線も開業しておらず、播但線経由では東京まで七時間もかかったので、利用するのはもっぱら料金の一番安い特急出雲のB寝台の上段だった。
時間的に出雲に間に合わないときは、深夜零時半発の大阪行夜行バスや午前一時発の大阪行夜行急行から新幹線につないで早朝の自民党の会議に出たりしたものだった。
いったい今まで何回出雲に乗ったのだろう、と考えてみるのだが、月平均五回としても二十年弱で総計千回は下るまい。
昔は食堂車が営業していて、看板になるまで飲みながら歓談や議論をしたのも、そのあと酩酊(めいてい)したまま寝台にもぐりこみ、目がさめたら財布が無かったのも、懐かしい思い出である。(中略)
公共交通機関の在り方、などと大上段に構えるつもりもないが、出雲号の存在無くしては今日までの議員活動があり得なかったと思う私としては、そのような感慨を持たざるを得ないのである。