10/05/23 12:47:12
正論ですな
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例えば、このスレッドにかもめさんが投稿された記事を読んで、
「この事件の関係者は生きている価値がない。殺害してやる」
などというおかしな人が出現し、事件が発生してしまった場合を考えてみましょう。
この場合、「かもめさんの記事が事件を誘発した」「かもめさんの記事がなければ
事件は発生しなかった」わけですが、これでかもめさんまで殺人の責任を追及
されるとしたら、ずいぶん理不尽な話ですね。
したがって、仮に「妻の行動がこの放火殺人を誘発した」のであるとしても、
それすなわち「妻にも責任がある」とはいえないのではないか、と私は考えるのです。
もちろん暴言を吐くのはよくないことですから、そういう意味では妻にも非があると
いえなくはありません。しかし、それによって妻が負わなくてはならない責任の大きさは
「世間一般において、配偶者が不倫をしていたことが分かり、その不倫相手をなじった不倫被害者」
より上でも下でもないはずで、むしろ世間一般の価値観からすれば、不倫被害者が配偶者の
不倫相手をなじるのは、ある程度自然な行為であるとみなされてもおかしくありません。
これで妻に放火殺人の責任の一端まで求めるのは、いくらなんでも無茶な話でしょう。
かもめさんがおっしゃる「防犯」の観点から考えても、
「配偶者に不倫されて憔悴し、不倫相手に暴言を吐く」という行為が放火殺人を誘発すると
予想するのはまず不可能ですし、またそのような観点から犯罪の誘発を予防しようとすると、
駅で肩がぶつかるとか、電車内の携帯通話を注意するとか、夜道を歩くとか、BBSに書き込むとか、
そういった無限の事例について、「犯罪を誘発する可能性がある」ということがいえてしまいます
(この放火事件で妻の行為が「放火殺人を誘発した」と言えるのは、結果論だから)。
誰かの行為が(結果論として)犯罪を誘発したかどうかと、その人に犯罪の責任があるかどうかは、
分けて評価されるべきではないでしょうか。
悲しいことに世間には不倫なんてごまんとあるわけですが、その結果子供が焼き殺されるというのは
この事件しかないわけで、非常に特殊な例なわけです。そういう特殊な事例から防犯上の教訓を汲み取ることは不可能かと。
一方で、家や車に置き去りにされた子供が事件・事故に巻き込まれるというのはたびたび起きるわけで、
そこから防犯上の教訓は導けるわけですが、その場合、子供を置き去りにするという行為と不倫との間にはなんら関連性はないです。