09/12/13 01:23:57 JANr/P0E0
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「そもそも神戸が空港をけったから、こんなことになったんだ」。神戸のある財界関係者は、自嘲(じちじちょう)気味に振り返る。
伊丹の騒音問題が深刻化し、関西新空港の建設が模索されていた昭和46年、神戸市は、海上新空港建設の試案をまとめた。陣頭指揮をしたのが、当時の宮崎辰雄市長(故人)だった。
だが、宮崎氏は48年、一転して神戸沖空港の建設反対を宣言する。同年に再選を目指す市長選があり、重要な支持基盤の旧社会党を含め、市議会が反対を決議していた。かくして49年、新空港は大阪・泉州沖に建設する方向性が決まった。
もし、宮崎氏が建設反対を唱えなければ、関西空港は神戸沖にあったかもしれない。
さきの財界関係者は「今となっては、あのときの市長の判断が誤りだったと言わざるを得ない。痛恨の判断ミスだ」と悔やむ。
神戸財界人が白状しましたw
やはり癌は神戸市だったんだね
神戸市長選に当選したいがために反対だっってさw
前原の言うとおり、神戸空港は3空港問題から除外して、神戸市自身で解決させるべき空港だな。
空港島の土地が2%しか売れなくて市債の償還が困難になったからって、大阪と関西両空港と合わせて3空港一元管理なんて都合が良過ぎだろうw