浅井長政はデブat GAMEHIS浅井長政はデブ - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト550:名無し曰く、 07/10/17 19:06:38 oWGs5eWT ☆浅井長政と市は戦国一の純愛夫婦☆ 長政は、市の前に正室として負け組六角家より嫁をもらっているが、 これは六角家が浅井家内包の為に送り込ませただけであり、長政に その気はまったくない。ちなみに、浅井家家臣たちにより間もなく 付き返される。 その後、浅井家は織田家と同盟を結ぶ事となり長政は信長の実妹、 市を娶る事となる。信長はどうやら長政の事を相当気に入っていた ようである。通常、しきたりでは浅井家が結婚資金を用意するのが 普通だったようだが、織田家側が全額を負担し、同盟が決まると 信長は大いに喜んだという。 この当時、政略結婚は極めて日常的ではあったが、その多くは養女等を 送り出すのが普通であり、実妹を差し出すのは異例中の異例である。 市は信長が最も可愛がっていた妹であり、その事からも信長が長政を 認めていた事は容易に窺い知れる。 長政と市は周囲が羨む程仲睦まじく、政略結婚であったとはいえ二人の間に 愛があったことは明白である。 この頃の大名といえば、正室のみではなく側室にも子を生ませ、家の存続を 頑強なものにするのが普通であるが、長政は側室をとらず、子も市との間に しかできていない。(側室がおり、子を設けたという説もあるが、その記録は 信憑性が乏しいらしい。)長政が市のみを一途に想っていたことは事実のようだ。 この後、長政は、信長が盟友朝倉を攻めた事により同盟を破棄、織田軍と対峙する事になる。 朝倉の不甲斐なさもあって、浅井軍は織田軍に追い詰められ、ついには小谷城を包囲される。 この時、反逆や裏切りを絶対に許さない信長においては珍しく、何度も長政に降伏勧告の 使者をおくったという。使者の中には羽柴秀吉(この時は木下秀吉)もいたという。 しかし、長政は勧告を受けることはなかった。 市は、愛する長政と共に果てる覚悟でいたようだが、なんとしても市だけは 生かしたいと考えた長政に諭され、織田陣営へと返される。 そしては長政は切腹により自害。享年28であった。 信長は、市や姪にあたる長政との子である3姉妹を大層大事にしたという。 その後、市は本能寺の変での信長の没後、信長の息子・信孝の仲介により 柴田勝家と再婚する。しかし、再婚の翌年に勝家が秀吉と対立し、賤ヶ岳の戦いで 敗れてしまう。勝家もまた、市を逃がそうとしたが今度は聞き入れず、 越前北ノ庄城内で自害した。享年37。 長政に次いで、自分や、愛する長政との子まで良くしてくれた兄・信長までが逝ってしまい 生きる気力がなくなったのであろうか。 市もまた、長政との間以外に生涯子を作ることはなかった。 戦国一の美人として言い伝わっている市だが、長政はどうだったのだろうか? こんな話がある。 秀吉は市に好意をもっていたが、市は毛嫌いしていた。 その理由は、秀吉が長政と比べるべくも無い醜男だったため、だと。 市は、結構面食いだったようである。長政も、そこそこの美丈夫であったのだろう。 最後に、こんなエピソードを。 長政最期の時、市は織田陣営に返された事は先に述べたが、市が織田陣営に帰るまでの間、 浅井軍、織田軍共に一切の戦闘行為を行わなかったという。 浅井軍、織田軍共にこの数奇な悲恋の物語を知っていたのであろうか。 まさに ちょwww戦国武将空気読み杉wwwwwwwwww である。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch