08/07/15 22:14:53 hFhR5SCh0
>まて、膨らみかけと表現したからには、これから膨らむんだぞ
ナンセンス!!
そもそも雪歩の様なimaginaryな存在の大前提として、
それが存在する系の中にはその公理上、時間の概念が現実のそれと異なる事が言える。
現実の時間は、要因に対して物理的な規則の上でただちに結果が決定して、その過程に我々が関わる事は出来ない。
なぜならそれは一瞬、つまり時間軸上の点で起こる事で、それを改変、支配するだけの時間が無いからだ。
つまり、現実の時間のに対して我々は受動的にならざるおえず、その要因は時間が大きさの無い点である事に帰納する。
それに対して仮想の時間は、その相対的な前後関係は存在するものの、その中の特定の点を外部から指定する要素が存在しない。
仮想の時間とは、最初は一連の連続した、大きさを持ったものとして与えられ、何処を観測するかは我々に委ねられる。
つまり点に対して、こちらは線分で、その分だけ自由度が与えられるのだ。
しかも観測するのが、その線分の中の点なのか、あるいはその中にある短い線分か、あるいは与えられた線分全体か、それも我々しだいだ。
分かりやすく言えば、現実の時間は動画、つまり勝手に進んで行き、仮想の時間は静止画、つまり自分の見たい所を好きなだけ好きなように見れる。
例えば、記憶も仮想の時間の中に存在する。
2008年に2000年の事を思い出そうが、2007年に2006年の事を思い出そうがそれは自由だ。
もう言いたい事は分かったと思うが、imaginaryな存在である雪歩が仮想の時間の上に存在する以上、彼女にとって時間はinevitableなものではない。
だから、彼女の胸が、次のsequenceとして大きくなるという議論は本質的な意味を持たない。
我々は往々にして、雪歩を愛するがあまり、彼女を我々の世界に引きずりこもうとし、この世界のルールに従わせようとする。
もちろん彼女とこの世界は独立な関係とは言えないが、彼女には彼女のimaginaryな存在としての意義がある。
それを尊重して、我々の方から彼女の世界を認め、それに近づいて行くという姿勢もあって然るべきなのでは?
・・・・ごめんなさい・・・分かりにくい文章で・・・><・・・ごめんなさい・・・><