08/04/28 00:14:40 N2cK5nls0
■朝の事務所(ランクB)
その、とても勝気なお嬢様と、一人の青年が共に歩み始めて、もう八ヶ月が過ぎていた。
デビューから勢い良くランクアップを果たした彼女達は、すでにランクB。
あと一息で、トップアイドルと呼ばれるほどの位置にまで上っていた。
今や、TVや雑誌などで彼女の名を知らぬ国民の方が少ない程のメジャー級である。
だからこそ、見えてしまったのだろうか?
アイドルなら、誰にでも訪れる【減衰】と呼ばれるものを、彼女はその鋭い感性で捉えていた。
ボーカルが、ダンスが、ビジュアルが……何が衰えたというわけではない。むしろまだ伸びている。
しかし、世間に名が知れ渡った以上【飽き】という名のイメージダウンは逃れようの無い現実だった。
怒涛のオーディション連勝を重ねても、それはイメージを【上げる】ではなく【維持する】のみ。
むしろ、勝って当たり前であり、負けると致命的な傷を負う。要は横綱の如く金星の提供者となるわけだから。
それは、そのお嬢様が悪いわけでも、勿論彼女の担当プロデューサーが悪いわけでもない。
スパンこそ短いが、歳を経て肉体が衰えるのと同じように……運命である、としか言いようが無いのだから。
そんな減衰の予兆を感じ取ったからだろうか?
彼女は……ランクAの、トップへあと一歩の水瀬伊織は、ただ目の前にいる男の一言が、信じられずにいた。
「今までありがとう、伊織。俺、担当は外れるけど……今度は経営陣として頑張るから」
彼女をトップランクに育てた実績が評価されての、異例の昇格人事だった。
まだまだ大きくなる765プロとしては、将来のために経営の出来る取締役を育てる必要があり、
有能なプロデューサーは現場を離れて経営を学ぶ事になるのは、ある意味当然の流れであった。
そんな事は、経営者の娘である伊織には良く分かっていた。
分かっていたはずなのだが……
(昇格おめでと。でも、ほとんどはわたしのおかげなんだからね。感謝しなさい。にひひっ♪)
(ま、このスーパーアイドル伊織ちゃんなら、誰のプロデュースでも無敗なのは当然だけどね)
(わたしのプロデュースを担当したって事、誇りに思いなさいよね!アンタには勿体無い実績よ!)
いざ、彼の目の前に立つと……さっきまで頭の中で用意していた言葉のどれも、出てこない。それなのに、
「行っちゃ、やだ……」
現実に伊織の口から出てきたのは、正反対の言葉だった。
「現場、離れないでよ!わたしにずっと付いてなさいよ!!一緒にいてよぉ!!
ねぇ、もう100%のオレンジ買ってこなくても文句言わないから!!」
彼は、答えない。ただ黙って首を横に振るのみ。
「もう、腹が立っても八つ当たりしない!荷物も持たなくていいから!!レッスンだってもっと頑張るから!
だから……お願いっ……アンタがいないと、わたし、今みたいに歌えないっ……
プロデュース能力とか関係ないの!アンタがいるから頑張れるのよ!!アンタがいるからっ……」
もう、隔しようが無いほど涙が溢れ、声も震えている。
それでも、言わなくちゃいけない一言があると思った。彼が、消えてしまう前に。
この非常時に、恥ずかしいとか照れ臭いとか……手段や体裁を気にする暇は無いほど、必死に叫んだ。
伊織が心の奥底に、ずっと秘めていた想いを。