07/12/30 22:49:59 AStYyQ030
「食後のお茶は落ち着くねぇ」
「プロデューサーは本当に玄米茶がお好きですね」
正面で湯飲みを抱えてくつろぐ彼に千早は微笑みかける。
「この香ばしさがたまらなく好きだ。今日は掃除で大変だったし」
「あまり片付いた気はしませんが・・・・・・」
彼にそう答え、千早は部屋を見回す。自分の部屋と同じ六畳二間に台所がついた部屋。
暇を見つけては掃除をしてきたが、あまり変わり映えはない。
「そうでもないよ。去年の年末に比べて、整理されている」
「私の私物を部屋に持ち帰りましょうか?」
彼に向き直り、千早は尋ねてみる。カウチやCD、勉強道具、音楽雑誌などの千早の私物がかなり部屋に置かれている。
「それだと千早の部屋に置いている資料や荷物を戻さないと」
「ああ、そう言えば、そうでしたね」
彼の言葉に千早も納得する。部屋が隣になり、彼の過ごす時間が増えた分、置いてある千早の私物も増えた。
入れ替わりにあまり使わない資料や荷物を千早の部屋にしまってある。
生活スペースは彼の部屋と言うのが二人の暗黙の了解事項。
もちろん千早の部屋にも食器なども置いてある。たまに春香が泊まりに来るから。
でも、千早のお気に入りのマグカップやお茶碗、箸などは彼の部屋の食器棚。
春香が来た時にわざわざ砂糖壺を彼の部屋に取りに行くくらいだ。
「あまりに気にするな。千早が部屋にいてくれると落ち着くし」
「私もプロデューサーと一緒にいると落ち着きます」
彼の言葉に千早は嬉しくなる。自分も彼に安らぎを与えられていると言う事実に。
「明日はいよいよ紅白だな」
「そうですね。仕事納めでもありますけど」
今年最後にして、今年一番の生放送イベント。
「今までと同じ気持ちで大丈夫だ。大事なのは寒いギャグにも笑うこと」
「それが一番大変のですが・・・・・・」
彼の言葉に千早は苦笑する。確かに彼や春香達のおかげで自分の表情は柔らかくなったと思う。
性格も穏やかになったと言う自覚もある。しかし、笑顔を作るのは苦手だ。
「大丈夫。困ったら、『お上手ですね』と言えば、八割方切り抜けられる」
「凄い処世術ですね、それも」
「これのおかげで俺は何度も助けられたよ」
「自慢気に言うことではないかと思うのですが」
胸を張って言う彼に千早は苦笑するが何となく大丈夫な気もしてきた。
「俺は安心しているから。明日は今年最後の千早の歌を楽しませてもらうよ」
「そう言われると気合いが入りますね。絶対に変な歌を聴かせたくありませんから」
彼がいるだけで安心できるようになったのはいつ頃か?
そう自分に問いかけるが明確な答えは得られない。
ただ安心できるようになってからオーディションで不合格はないと言うこと。
最近はオーディションを受けずとも先方から出演依頼があるので、
ひょっとすると間違っているかもしれないが。
「そうだ、番組に匿名で応援メールでも出すか。ちーちゃん、頑張れ、とか」
「変なことをしないで下さい。私はプロデューサーが見ていて下されば、それだけで十分です」
「よし、それならデジカメと望遠レンズを用意して・・・・・・」
「それを用意するとステージ脇ではなく、一般客席に行かないと駄目ですよ?」
彼の言葉に千早はため息をつく。それ以前にカメラを持って、ステージに通じる通路に入った時点で警備員に追い出されるだろう。
「しまった、せっかく千早の今年最後の艶姿を撮っておこうと思ったのに。千早と一緒に撮った写真が少ないからなぁ」
「それならお正月に撮りませんか? 家から振り袖を持ってきましたので」
彼の言葉に千早は渡りに船とばかりに飛び乗る。自分も彼と一緒に撮った写真が欲しかったのだ。
携帯で撮った写真か番組や事務所の集合写真でしか、彼と一緒に写っている写真はない。
引っ越す前は寝る前に携帯のデータフォルダから写真を呼び出し、それにお休みを言うのが習慣だったのは絶対に秘密だ。
もう一つ言うなら、当然あの家に正月はなかった。振り袖もこの正月のために・・・・・・彼に見せるために作った物だ。
「おお千早の振り袖姿か。って、千早は着付けができるのか?」
「撮影で必要かと思い、音無さんに教わりました」
「小鳥さん、着付けができるのかぁ。そっちも初耳だ」
「『乙女にできないことはない』と言ってました」
そう言いつつも千早自身も意外に思ったが。ついでに『これで撃墜確実よ』との余計な一言付きだ。
「よし、では、千早の振り袖姿を楽しみに明日を乗り切ろう」
嬉しそうに言う彼に千早は微笑む。私もあなたとお正月を過ごせるのを楽しみに頑張りますからね、と思いながら。
今年の年越しはコンビニ弁当やカップ麺のお世話にならないと心に誓った