07/12/14 02:21:29 OVKUmNn/0
■お泊り2(ランクS)
酔った人、というものを見るのは久しぶりだけど、あまりいいイメージは無い。
わたしの父も、あの辛い記憶を忘れたくてお酒を飲んだことはあるけど……
忘れるどころか感情の制御が利かなくなってもっと性質の悪い事になった。
そんな苦い記憶があるだけに、今日の音無さんの訪問は、心から歓迎できるものではなかった。
「ごめんにぇ、千早ちゃん~、またお世話になっちゃって~♪」
「お気になさらないで下さい。音無さんを凍死させるわけにはいきませんから」
ちょっと呂律が回らなくなっている彼女から話を聞くに、今日は仕事でもなんでもなく、
一人で飲みに行った帰りにわたしの家へ寄りたくなったのだという。
ちなみに電車はまだ動いているけど、こんな状態の彼女を追い返すわけにもいかない。
とりあえずはお水をあげて少しでも酔いを醒ましてもらい、風邪をひかないうちに寝てもらおう。
そんな事を考える間もなく、音無さんは警戒に動き回っている。
「ではぁ~、千早ちゃんのおうちを探検しますぅ~♪まずはこっちのおへや~」
「あ!あのっ、そっちは空き部屋で……」
止める間もなく、彼女はドアを開け、中に入った。
「布団と机があるわねぇ~しかもぉ!このお布団から仮眠室のプロデューサーさん専用ベッドと
おんなじ匂いがするわ~それに、机には資料や書類がいっぱい!ここはプロデューサーさんのお部屋だ!」
「空き部屋です!あくまで空き部屋です!!プロデューサーが緊急で仕事をまとめなければならない時に、
たまたまあった机と布団を貸してるだけです!」
「その割には~わたしやあずささんが寝る布団と完全に区別してるんだ~」
「そ、それはっ……や、やはり、男の人と一緒の布団を使うというのは……」
「わたしはぁ~全然気にしないわ~むしろ大歓迎~だから、今日はこの布団で~」
「それはこの家の主として許可しません」
音無さんを羽交い絞めするような体勢で引きずって部屋を出る。
精神のリミッターが外れていると、ここまで人は扱いづらくなるなんて……
わたしは二十歳を超えてもお酒は飲むまいと、彼女を引き離しながら考えた。
「じゃぁ、歌で勝負よ!!わたしが勝ったらプロデューサーさんの布団で寝るわ」
「……」
酔っ払いに思考回路は無い、とはよく言ったもので、ここで下手に反対しても泥沼になるだけだ。
それに、歌で勝負を挑まれて引き下がるわけには行かない。
わたしは、その勝負を受けると彼女と一緒に防音設備の整ったレッスン室へと向かった。
「勝負はお互いに歌って、先にまいったと思ったほうが負けです」
「おうけい~では、はじめましょう~♪」
あいにく、うちの音響設備はカラオケは出来るけど、採点機能なんてものは無い。あっても使う気は無いけど。
これでもわたしはプロ歌手の端くれ。歌で音無さんに負けるとは思わない。
彼女のボーカル力と人間性を信じるからこそ成り立つ勝負形式だった。
コイントスにより先行はわたし。曲は勿論『蒼い鳥』
それも、決して悪くない……むしろ、CDに録音してもいいレベルで歌えた。
それを聴いていた音無さんは……
「うふふふ……凄いわ、千早ちゃん……わたしも漲ってきたわ!!」
酔っているのか武者震いか、ますますハイテンション状態になっていたみたい。
「いくわよ!曲は……『魔法をかけて!』で、チェゲダゥ!!」
……なんか、振り付けが軽口審査員そっくりなんですけど。それはともかく、彼女の歌がはじまった。
「……」
同時に、わたしは全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。
ボーカルだけでなく、振り付け、目線、そして感情……すべてが歌に現れている。
ボイスレッスンを重ねていない分、声に荒さがあるのは否めないし、ダンスレッスン不足な分は、
3曲も踊れば確実に足を鈍らせるのが分かる。
それでも、この一曲は凄まじいほどの可愛らしさと……別の何かが大きなオーラを纏っているみたい。
その【何か】は、今の私が百回挑んでも勝てそうに無いもの。それが直感できた。
音無さんも昔はアイドル志望だったと、春香が言ってたけど……
この曲が持つ、女の子の変身願望みたいな気持ちが何倍も強く現れている。