08/01/17 00:21:31 uBussX0h0
土曜の午後。私はアイドル候補生の天海君と萩原君を連れて、とあるCDショップを訪れていた。
大型ショッピングモール内にあるこの店舗には、地元FM局のオープンスタジオが設けられており、
毎週土曜と日曜には番組収録の様子を見学することができる。
今日は、某有名アイドルが番組にゲストとして呼ばれ、ブースの中でパーソナリティとトークをしていた。
レッスンも大事ではあるが、こうして現役アイドルの姿を見ることで仕事のイメージを掴むことも
有意義かと思い、アイドル候補生の二人を連れてきたわけである。
三十分程度の番組収録の後で、天海君と萩原君に感想を尋ねてみた。
「歌が上手なだけじゃダメなんですね。頑張らないといけないこと、沢山あるんだなぁ」
そう天海君が言うと、
「私、あんな風にちゃんとお喋りできるかなぁ……」
と萩原君も不安げな表情を浮かべる。
「まぁ、いきなり何でもできる人間などおらんよ。あのアイドルも、地道な努力の積み重ねで今の地位を
獲得したわけだ。千里の道も一歩から。今の天海君と萩原君は、いわばタマゴの状態だ。これから大きく
成長するためにも、デビューに備えての準備を怠らないようにしないとな。さて、今日は夕方からレッスン
だったな」
「はい」
「それでは、少し早いが、そろそろ事務所に帰るとしよう」
「はい」と天海君が返事する傍らで、萩原君がおずおずと声を上げた。
「あのぅ、その……」
言葉尻の歯切れの悪さと、もじもじした態度に、私は思わず苦笑した。
「行ってきなさい。私たちは先に行って、噴水広場のところで待っているから」
「は、はいっ」
小走りに御手洗いへ向かう萩原君を残して、私は天海君とCDショップを出た。
ショッピングモールの中央に設けられた噴水広場で、萩原君を待つ。
だが、なかなか萩原君がやって来ない。
「遅いなぁ、雪歩」
「幾ら何でも遅すぎるな。何事もなければいいのだが……」
「私、様子を見てきます!」
そう言って駆け出そうとする天海君を呼び止める。
「待ちたまえ。私も一緒に行こう」
「はい―って、あれ?」
「ん?」
天海君の視線の先には、萩原君の姿があった。どうやら無事らしい。
が、隣にいるのは誰だろう?
一瞬男の子かと思ったが、よくよく見ると萩原君や天海君と同年代の女の子のようだ。
そうこうしているうちに、萩原君は私たちの前までやってきて、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。その、お待たせしてしまって……」
「いやいや、無事で何より。それにしても、何かトラブルでもあったのかね?」
「そのぉ、犬が……」
そういえば、萩原君は犬が大の苦手だったな。
「ちょうど、その向こうの休憩コーナーのところに、小犬を連れた人がいて。それで萩原さんが立ち往生
していたんで、ボクが萩原さんと犬との間に壁のように割って入るようにして、そうやって何とか通り
抜けてきたんですよ。へへっ」
自分のことをボクと呼ぶ、その少女の顔には見覚えがあった。
「君は?」
「菊地真です」
「キクチマコト君、か……。念のために訊くが、君は女の子だね?」
「そんなの当たり前じゃないですか! ひどいなぁ……」
「いや、決して悪気は無いんだ。あくまでも念のためであってね。……そうだ。もしよかったら、ちょっと
お茶でもどうかね? 萩原君を助けてくれたお礼の代わりと言っては何だが」
「そんなお礼なんて……。ボクは、当然のことをしただけだから」
「まあ、無理にとは言わないが、ここで知り合ったのも何かの縁だ。私からのささやかな感謝の気持ちを
受け取ってはもらえんかね」
「まぁ、そこまで言うのなら……」
「よし。ならば、善は急げだな」
自分でも少々強引だとは思いつつも、三人を連れて喫茶店に入る。
注文した品物が来るのを待つ間に、私は本題に入ることにした。