08/06/01 15:04:27 HKOsBpXm0
個人的な見解を言わせて貰えば、やはり坂口氏が抜けたのは大きい。
彼はまず「世界」という大きな器を用意しておいて製作する。
だからこそ「全体を眺める目」というものが常に作品を監視し、
RPGという「料理」をみんなで作ろうとして、
誰かが食材を入れようとするときに、
食材を活かしながら、整合性を保ち、バランスをとる「見極め」ができる。
だから、出来上がったものは器に合った、たった一つの奥深いものになる。
今の作品で行われているのは、完成したもののつけあわせに
主役から材料を引っ張ってきて、そのための器を用意し、
そこにさらに新しい材料、味付けを加えたもの。
(つまり、元になる器、世界自体を後付けで変えてしまい、
全体を眺める目を無くしてしまった、ということ。KHもそう感じた)
別個の料理であるが、表面上は同じように見える。
材料が同じだからと口をつけると、前の料理を覚えていて、
同じ良さを期待しているからこそ、前の料理との味との違和感を覚える。
そこで、「じゃあ、こっちは口にあうかも」と次々に他の料理を出されても、
それは材料の調理法を変えただけのものであって、食材、味付けのおいしさはあり、
腹は膨れるが、納得は出来ず、料理の数だけが増えて、逆に不快感を覚えるようになる。
壮大な世界のなかにおいて、キャラデザ、シナリオ、映像は軸にならない。
あくまで食材、味付けであり、「世界」を構成する一つの要素に過ぎない。
世界という器が前提にあるからこそ、互いの要素は反目せず、調和を保つ。
そして、その器を(それらの要素のために変えて)自ら壊してしまった物語は、
止まるところを知らず、欲に任せるがまま、自己満足的なモノづくりに終始し、
欺瞞、矛盾を孕んで崩壊するだろう。