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四の二、大将の諸説に関して(続)
B説は、着地点の敵駒を取れるとした上に初期状態で太子を取れるという欠点を
封じた点で、適合性は高い。ところが、味方を取る機能は否定しながら、格の適用を
認めている点でE説と同様の批判が可能である。但し、大将系の駒は格を重視する
駒であることは明らかであるから、生来同格以上の駒は取れないと解することは
E説の言い分よりは合点が行く。仮にそうなるとすると、副将の跳ねや猛龍・飛鰐の
踊りでも同格以上の駒は取れないことになる。
C説は、飛越の規定は飛越中のみ通用するもので着地点は通常の原則に遵うとする点で
理屈の上では最も有力と言える。但し、初期状態で太子が取れるということになると
著しく興醒めである。無明に摩訶大大将棋の能力を準用させることで大将を止めるという
考え方もあるが、着地点で「一緒に捕獲」し、「其處より」成るのだとしたら、
大将は止められないことになる。尤も、概念的には、大将の動きは飛越と言うよりも
薙ぎ倒しながら猛進する様なのであり、順次取って行く印象が大きいことは確かである。
実は未だ支持すべき説に関しては迷いがあるが、確かにC説で敵方の無明を取って
止まるというのも一応考えられる。但し、無明・提婆の規則を準用するならば、
無明・提婆だけは摩訶大大将棋同様、敵駒を取った瞬間に成るとする程度の
前提は必要とする。自分が取った際の権利は剥奪されて、取られた場合の規定は
準用するというのは不条理である。自分が取っても成れるからこそ存在する規定と
言えるからである。
前提を欠く場合には、B説を一応支持する。