06/12/02 15:39:03 4GfKYO1l
>>194
>強制成りを意味しないことは 既に述べており、
これは、「強制成りか」を議論するのに、強制ないではない『中將棋指南抄』を
引用しており、議論としては不適切であるかと思います。
「強制成りであることの根拠にはなり得ない」かもしれませんが、 「強制成りで
ないことの根拠にもなり得ない」かと。
>寧ろ不成の選択が不可能である旨を明記すべきと言える。
文意として、「強制成りとも考えられる」ことには違いないと思います。
著者は書いたつもりでいるかもしれません。
そして「状況」とは、「不成り規定について書かれていないこと」を指します。
著者が、獅子の成りについて、これが想定外だっただろうことには、同意します。
しかし、既に本将棋・中将棋で不成規定が違う事実があるにも関わらず、本をまとめよう
という人が「不成り規定」も想定外だったと考えられるでしょうか?
むしろ、「本将棋・中将棋で不成規定が違う」なら、どちらに準ずるか、もしくは
改めて記述する必要があるかと思います。
現に本将棋・中将棋のどちらか、断定できる状況にはないわけですから。
これは、「強制成り」だからこそではないでしょうか?
>中将棋方式が妥当であると解するものである。
不成規定について自明とするなら、「本将棋の方がより広く行われていた」ので
あれば、本将棋方式かと思います。
まず必ず「本将棋と比較して」ということが念頭にあるだろうからです。
これに沿わないのでれば、その旨を明記すべきと思います。
著者が「強制成りを書いたつもり」でいる確率と「不成規定が想定外だった」という
確率でどちらが高そうでしょうか?
「見落とし」が多ければ、人はそれを信用できなくなってくるのではないかと思います。
そもそも、私は「見落としはなかった」という立場ですので、「咎める」など思いも
よらないことです。