06/12/02 12:52:56 xCp7k/cJ
一、成りの規定に関して
>>193は、文意・状況・著者の名誉を考慮すると強制成りが良いと言うのであるが、
「成れる」でなく「成る」とあることが文意として強制成りを意味しないことは
既に述べており、当時一般的に敵陣強制成りを採用した将棋は存在しないことから
状況的にも不自然であり、寧ろ不成の選択が不可能である旨を明記すべきと言える。
「資料」とは何を指しているのか不明であるが、『世界の将棋』が『大局将棋駒』に
記述されていないことを記述しないことが落ち度と言える道理はないのであるから
『大局将棋駒』であると考えるが、『大局将棋駒』は現存する唯一の原典であり、
相当合理的な疑いのない限りは、何れにも優越して信憑性があると言うべきである。
尚、議論が激しいのは、成りの方式と言うよりは獅子の成りであるが、該事例は
考案者自身が想定していなかったことと考えられる。実質獅子にしか適用されず、
二歩しか進めない獅子が、大して強化されないのに敵陣迄向かい、敵陣一歩手前で
足を止めた、という条件が必要となる特殊な事例なのであるから無理もない。
中将棋ですら、獅子の、歩兵と仲人は喰添(付喰い)の対象にならないという
特殊規定に関して、歩兵や仲人自体が唯一の足であった場合には如何に解するのか
想定されていなかったという事実があり、我々にも当然にあり得ることであるから、
見落としがあったとしても、過度に咎める資格はない。
問題は然様な事態に遭遇した際に、現存の規定を基に如何に解釈して適用し、
整合性を高められるかである。完全な規定があるならば元より議論の余地はない。
成りの規定に関しては、当時一般的に行われていて、同じく敵陣成り方式である
本将棋か中将棋に則るべきであると考える。本将棋の方がより広く行われていたが、
大型将棋として類似性の高い中将棋の方が、大局将棋に準用するには相応しいと
考えられるので、中将棋方式が妥当であると解するものである。