07/03/14 01:23:02 Kx0w5Nre
升田先生は感想戦をしっかりやって将棋のレベルも上げようとした。でも大山は多くを語らず最後まで付き合わず自分の手の内を
明かさなかった。升田は新手も沢山だし観客に満足してもらおうとした。しかしこれにも大山は付き合わなかった。
升田みたいに人気もなくて大山は勝つためだけの将棋に徹し将棋人気を大きく下げた。当時の多くのプロ棋士は人間的に魅力がある
升田を慕った。升田は将棋の将来を考えない大山に腹を立て香落ちで名人だった大山に勝ち、大山に歴史的大恥をかかす。
もう少し全体考えろバカヤロウと大山に言わんばかりに。史上初の香落ちで負けた名人として歴史に汚点を残した大山は恥を消す為
逆にその後勝ちだけこだわってしまう。升田はその後、体を壊しいい将棋はできなくなってしまった。
大山がまだ入門当時で弱い頃、升田は大山に目をかけ徹底的に師匠のかわりに将棋を教えてあげた。大山はメキメキ上達した。
升田はそんな大山の姿を見て頼もしかった。自分達で将棋界を盛り上げて行くつもりだった。 でも大山は裏切った。
升田が引退した年、升田を慕う多くの棋士の呼びかけによって升田先生に特別な称号をつけるべきだという議論が起こった。
升田は頑なに断ったが、上記の事実を知る多くのプロ棋士が黙っていれなかったのである。
その時、現役で日本将棋連盟会長だった大山はそんな動きを些かの妥協もせず、情けもみせなかった。
ある時、優秀な若手棋士を集めて「本物の升田幸三を見る会」というのをつくって升田さんを招待した。ところが若者に囲まれて
升田先生は一言も喋らない。会が開く直前やっと口を開いておもむろに語った言葉が「大山は連盟をつぶす」の一言であった。
その後、升田先生に実力制第4代名人という妥協された称号が与えたのは実質大山連盟会長退陣後の二上達也理事であった事は
言うまでもない。