07/02/16 05:06:48 raCAYASX
中国戦史、三国志だけではなく春秋戦国も含めた、
名を残した国の滅亡の原因を「内憂外患」で考えると
「外患型」の滅亡は少ない。
つまり他国からの攻撃のみで滅亡することは、滅多にない。
ほとんど「内憂型」で、しかも「君主による内憂」が多い。
呉は典型的なそのケース。
蜀の滅亡は「内憂型」のように思われ勝ちだが(そう演出されている?)、
実は珍しいぐらいの「外患型」であると思う。
特に蜀の場合は敵対国との国力差が大きくこのような場合は
臣が抗戦派と和平派で争い安定政治がとれないことが多い。
(例、秦と韓・魏。今川と松平・織田。中国と日本・・・は、ちょっと違うかw)
当然それらの臣の反乱も多い。
にも、関わらず蜀は反乱もほとんどなく安定的な政治が数十年単位で続いた。
これは知力、政治、魅力が相応に高くなければ不自然ではないかと考えている。