05/10/29 11:53:41 EgVAKXHu
深夜の７６５プロに、カタカタというキーボードを打つ音だけがこだましている。
「うんっ、こんなものかな」
書き上げたばかりの文書を保存して、私―音無小鳥は、んっ、と小さく伸びをした。
それにしても、今日は本当に静かだ。いつもは騒がしい事務所なんだけど、今日は
偶然オフが重なったり、ロケ先にお泊りだったり。
何回か引越しをした今の事務所は、ちょっとした高層ビルだから、外の喧騒もほとんど
聞こえてこない。こんな状況で、私だけ残業っていうのは、やっぱり少し寂しい気もする。
でも、これが私のおしごとだから。
（……そうだ。せっかくだから、あれ、やってみようかな）
こんな日には、ちょっとだけごほうびをもらってもいいんじゃないかな。ちょっと
ドキドキしながら、私は更衣室へ向かった。
ブラインドを開ける。
窓ガラスのむこうに、ステージ衣装を着た私が立っている。
（……おかしく、ないよね、うん）
仕事中の事務服はもちろん、プライベートでも地味目のファッションを選ぶことが
多い私には、淡いピンクにフリルやリボンを付けたこの衣装は、やっぱり少し恥ずかしい。
窓のむこうには、空の星を映したような、幾万の光の粒。
あの光のひとつひとつに暮らしがある。こうやって見おろすだけならきれいだけど、
その中には、泣いたり怒ったり、いやな事があったりもするのだろう。
そんな人たちに、歌を―夢を届ける。それが、私たちのしごと。
アイドルとして、華やかな舞台に立つ選択肢もあったと思う。実際、社長にそれを
薦められた事もある。経理出身の律子さんは、そっちを選んじゃったしね。
でも、私にはやはり、裏方の方が向いている、と思う。天職っていうほどじゃないけど、
人に夢を贈る仕事だからこそ、裏で支える人間が必要だと思う。
でも。―ううん、だから、かな。
ときどきは、私自身が夢を見たっていいと思うのだ。
「……みなさん、今日は私のコンサートに集まってもらって、ありがとうございます」
夜景の光の群れに、私は呼びかける。
かすかなまたたきは、万雷の拍手と歓声。そんな風に、私には思えた。
「それじゃ、まずは１曲目、聴いてください。歌は―」
夜はまだ長い。
夢を見る時間は、まだたっぷりありそうだった。