07/05/02 13:46:27 wYKTvOpo0
袁術はこのように希代の悪人とされているが、当時の豪族は度の違いはあってもこのような側面は
持っているものである。戦争が長きに渡って続いていた時代であり人民には過酷な兵役と悲惨な死が強いられた。
それは袁術配下に限らず、劉備・曹操・孫権をはじめどの国家においても人民の死という犠牲の上に成り立っている正義であり
大義名分であったのだ。さてそんな袁術だが優しいおじさん的な側面も見え隠れする。
孫策を一目見て「自分にも孫郎(孫家の若殿)のような跡継ぎがいれば何も不安はないというのに…」
と孫堅にもらした。また幼い頃の陸績が袁術に会った時に蜜柑を食べさせた。
陸績は出された蜜柑の味に驚き、そのうち3つを懐に入れて持ち帰るつもりだったが退出の際一礼したため
蜜柑は転げ落ちた。袁術は「陸郎(陸家の坊ちゃん)は招かれた席で盗みを働くか?」
と問うた。陸績は「帰って母に食べさせてあげたいと思いました。申し訳ございません」と膝をついた。
その孝行ぶりと、見事な態度に袁術は感嘆し、蜜柑を篭に入れて持ち帰らせたという。
皇帝を僭称し、無惨な末路を迎えた袁術もまた時代という目に見えない大きな波に操られていたのかも知れない。
ジャ。オジャマシマシタ