星彩アンチの9割以上は趙雲ヲタ腐女子の自作自演at GAMEHIS
星彩アンチの9割以上は趙雲ヲタ腐女子の自作自演 - 暇つぶし2ch488:名無し曰く、
06/09/26 21:04:30 aBXZM9tA
>>486
プレイしてブログにて妄想カキコをしている腐女子が沢山いますが何か?

星彩が嫌われているのは出すべき武将の要望があるのに新キャラに女性武将を
優先して出してプッシュする肥の態度にあるんじゃないか?

489:名無し曰く、
06/09/27 08:59:37 /sC6+56H
いやいや、女武将の要望もあるよ

あと(一部を除いて)そんなに毛嫌いされているわけではないし

490:名無し曰く、
06/09/27 12:10:42 NBrT8leR
馬雲煙出ないのは、やっぱり趙雲の妻だからだろ
腐女子に遠慮してさ・・・

491:名無し曰く、
06/09/27 12:30:13 9kZruGjj
出典が反三国志というトンデモ本だからだろ

492:名無し曰く、
06/09/27 21:10:51 LsOArWWA
趙雲は嫌いだが星彩はもっと大っ嫌い。
完全捏造ストーリーも嫌い。
歴史ゲーに女キャラばっかり希望するやつは頭どうかしてると思うんだが。

493:名無し曰く、
06/09/27 22:10:57 7BmG8zRv
>>492
張飛長女は、劉禅の妻になっているよ

494:名無し曰く、
06/09/27 22:34:23 MWSgiF49
張飛の娘は娘で出せばここまで叩かれなかったと思うんだ
星彩はそれとも違うオリキャラだったから悪いわけで

ちなみに次女も嫁いでる筈

495:名無し曰く、
06/09/27 23:18:21 nolnbgx3
長女が劉禅に嫁いだ後ですぐ亡くなっちゃったから
次女を嫁がせたんだっけか。

なんだかなー
しょせん娯楽だからある程度のお遊びとかアレンジというか
そういうのはあってもいいと思うわけよ。女が戦場駆け回っても別にいい。ゲームだし。
三国志演義とか小説その他だっていくらもオリキャラ出るし話の展開も違う。
そりゃまぁ元のキャラ差し置いてオリキャラばっかり贔屓してたらアレだけど。

でも肥ってなんか中途半端なんだよな。吹っ切れてないというか。
星彩もいっそ開き直って完全にオリキャラにしてしまうとか
元ネタ重視するなら張飛と劉禅くらいとしか絡まないようにすればまだマシだったかもしれん。

496:名無し曰く、
06/09/27 23:24:30 8nkJtjga
関平も最近は星彩とくっ付かせて彼女を引き立たせる為に作ったキャラに見える。

497:名無し曰く、
06/10/05 00:05:53 Jg28DpnR
三国志の国民的ヒロイン、張星彩。
物語、劇、映画、絵画、音楽など、あらゆる場で彼女が語られ、伝説と悲劇に彩られている。
ここでは、当時の記録を中心に、彼女の真実の姿を探ってみたい。


--------------------------------------------------------------------------------

星彩登場

・時は激動のまっただ中で、長い戦乱で国内は荒れ果てていた。
しかも、献帝を擁立した袁紹が、武帝の再来をも名乗る有様であった。
本来の宦官・董卓も洛陽で覇者を称したが、即位することができずにいた。

・211年、劉備は益州の要地・成都を攻撃した。半年の包囲で、町は絶望的状態におちいった。

・このとき、町に噂が広まった。
「劉璋軍の囲みを解いて劉備で戴冠させるために王のもとに行く、と語る“乙女”なるものが益州の或る町を通過した…」
これが、張星彩の、歴史に残る最初の記録である。

135 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/11/12(土) 02:20:44
生い立ち

・張星彩は、中国大陸北東部の河北省に生まれた。生年は、194年と推定される。

・「村では、汝冥とよばれていた、姓は知らない」と、彼女は証言している。
ちなみに、生前呼ばれていた名前は「星彩」もしくは、「張星」であった。
父親の名が張翼徳だったことから、死後「張星彩」と呼ばれるようになった。
生まれて間もない頃に養女として出され、張飛とは離別することになる。

・家は、比較的裕福な農家だった。他の村娘たちとかわりない、平凡な少女時代だったらしい。

498:名無し曰く、
06/10/05 00:06:55 Jg28DpnR
・210年、16歳のとき星彩は「天の啓示」を聞いた。
「“声”が私に、劉備のもとに赴くこと、劉璋軍の囲みを解くことを命じました。
私のしたことはすべてその“声”によるものです」と星彩は語っている。

・星彩は、専属の防衛隊長・趙子龍のもとに行き、劉備のいる荊州へ行きたいと告げた。子龍は部下6人を護衛につけてくれた。

・敵地を通過し、成都にたどりついた星彩は、劉璋と面会することができた。
周りの者がのちに語るところによれば、会見後、星彩は「晴れやかな表情」をみせたという。

・3週間におよぶ審理の後、彼女は豪族出身の司令官の息子(のちの関平)と同等の待遇を受けるようになった。

136 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/11/12(土) 02:24:16
白帝城解放


・234年、劉禅を残して白帝城に陣を敷いた星彩は、市民に歓呼の声で迎えられた。

・それからわずか10日、意気上がる蜀軍は呉軍の砦を占領し、戦局を覆すことに成功した。

・明らかなことは、①星彩は作戦会議に参加している。 
②しばしば軍の先頭にたって戦い、兵士も彼女に従っていた。 
③自分の名前で孫権に4回書簡を送りつけている。

・皇帝・劉禅は、星彩にともなわれて白帝城に入り、正式な劉備の後継者となった。

499:名無し曰く、
06/10/05 00:07:26 Jg28DpnR
137 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/11/12(土) 02:32:15
星彩、捕らえられる



・星彩は、さらに基盤を整えるため攻撃を行うが、失敗し、腿に矢を受けて負傷した。

・このころ、時の宦官・黄皓は重臣たちの意見を採り入れ、魏と休戦してしまった。
あくまで戦いつづけようとする星彩は、邪魔な存在になりつつあった。

・263年、魏の総大将・鄧艾との戦闘で星彩は捕らえられ、魏軍に売り渡されてしまった。
劉禅は、星彩を救出する努力はしなかった。



戦犯の濡れ衣で処刑に



・星彩は、魏の首都・洛陽で裁判にかけられた。
5ヶ月のあいだ、彼女は牢獄に閉じこめられ、弁護人もつけられずにたび重なる審問を受けた。

・裁判の結果は、「虚偽の矜持をうたい、数々の異端的言動を恥じず、
両国の判断や勧告に従わぬ救いがたい戦犯」として禁錮に処すというものであった。

・星彩は、絶望の中で遥か昔に他界した関平に遺書を残して、その生涯を閉じた。
266年のことだった。

138 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/11/12(土) 02:34:43
  /\___/\
/、-―' ゙、ー- #\ ブチキレタ
| (●), 、(●)、:::|
|  ,,ノ(、_, )ヽ、,, :::|
|    ,゛-==-'   ..:::::|
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139 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/11/12(土) 02:37:01
名誉回復、そして伝説へ



・25年後、彼女の義孫の訴えから裁判がやり直され、星彩の名誉は回復された。

・長い間、彼女は忘れられた存在だったが、
1849年、洪秀全は「中国本土が脅かされるときには、優れた英雄が出てかならず奇跡をもたらしてくれることを、
あの有名な張星彩は証明している」との言葉を贈った。星彩は蜀の英雄の一角となった。

・1929年、南京国民政府により、星彩は正式に「女帝」と認められた。

500:名無し曰く、
06/10/05 01:02:35 U3NdpQXb
キモイオナニー野郎が出やがった……
NGワード入れとくわ。

501:名無し曰く、
06/10/05 09:18:12 xPhNiRhJ
敬哀と星彩・・・
実は韻をふんでるね

せいさい
けいあい

502:名無し曰く、
06/10/05 11:08:34 55xqIKid
元ネタがジャンヌ・ダルクかと。。。

503:名無し曰く、
06/10/05 11:14:45 HNcNKshw
それは単に君が救国の女英雄ということでジャンヌ・ダルクしか連想できないだけだと思われる

504:名無し曰く、
06/10/05 19:07:26 ciNAj0Ov
>>503
フランス語でおk

505:名無し曰く、
06/10/05 19:54:54 PajWH0C/
この内容でジャンヌ以外の何がいるというのか

506:名無し曰く、
06/10/05 20:37:24 U3NdpQXb
肥社員はジャンヌをパクってまで制裁を持ち上げたいのかね?

507:名無し曰く、
06/10/05 23:04:05 7W4XqxxC
>>505
近場では祝融もそうなんじゃないのか

508:停止しました。。。
停止
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ


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