06/08/26 00:52:33 7EjPKufh
「麻薬の値段が上がったら、ニューヨークの街が屠殺場になる」という筑紫哲也の発言に、屠場組合と解放同盟が牙をむいた。
TBS筑紫キャスター「屠殺場」発言事件
第1回大衆糾弾会は、89年11月22日両労組員ら200人が参加してJR品川駅前の芝浦食肉市場で開かれた。
席上、筑紫氏が差別の意図はなかった旨釈明したが、参加者からは,激しい罵声や怒号が浴びせられた。
糾弾は午後いっぱい、4時間にわたって続けられた。まさに長時間の「拷問会」であった。
以後、糾弾会は12月13日、90年1月10日など、90年8月1日まで、毎月1回、計9回開かれた。
4、5回までは第1回同様、「人格が破壊されかねない」ほどの激しい糾弾会となった。
あるときは「差別とは何か、いってみろ」といわれ、あまりにも漠然とした問いに戸惑っていると、
「なぜ黙っているんだ。いえないのか」とやられ、考えがまとまらずに何かをいうと、次から次へと揚げ足とりで突っ込まれる。
何をいっても吊るし上げられる、一時の過激派学生の大衆団交と同じだったという。