06/01/09 20:52:19 EARAF0ZU
>クリスティーの古典「そして誰もいなくなった」以降、そもそも作品中で述
>べられている客観的情報が全て真実であるという図式は崩れています。
>しかもこの作品では、個人主観ではなく、第3者的な視点から物語を描いて
>いる分、『ひぐらし』よりも数倍、難易度が高いですね。
「そして誰もいなくなった」では飽くまで事実として書かれており、しかも
それは真実である。その場の会話、行動が第三者的視点から正確に描かれてい
るだけ。「客観的情報が全て真実であるという図式は崩れています」と書いて
いるが、それは誤り。事実を書きながら事実を誤解させるのが叙述トリック。
1 ある事実をもとにして、まだ知られていない事柄をおしはかること
未知の薬や羽生は事実をもとにしておしはかれたのか? 自らが出した辞書
の定義に抵触してないか?
>6は5かもしれない、という「仮定」を探すのが竜騎士07の推理だと思ってお
>ります。
先にも述べたとおり、仮定とは数式そのもの。そして数式における5が事実
。事実そのものを疑うのは「推理の(1)」に反する。無論「推理の(2)」
にも反する。
>この時、竜騎士07は、6の正体について、ある種のエンターテイメント性を
>優先して「5」を描いています。それは『ひぐらし』がエンターテイメント
>作品だからです。「1」や「2」が正体であるよりは、「5」が正体の方が
>話が盛り上がるだろうという意図で物語をデザインしました。
>私に言わせれば、片思いの中学生が冷たくされたと勘違いして相手の女の子
>を包丁で滅多刺しにしてしまった事件の「動機」の方がよっぽど荒唐無稽で
>す…。
>無職の若者が憂さ晴らしにホームレスを惨殺する「動機」よりは、劇中の
>「5」は理解可能な動機を持っているようにデザインしたつもりなのですが……。
>それがうまく描けない未熟さが本当に申し訳ないです…。
荒唐無稽さを論じてるんじゃなく、推理の定義を論じていたはず。
話がすりかわってる。
エンターテイメントを優先すると竜騎士氏の推理の定義がどう変わるのか
説明されなければ、単に論が飛躍しているだけになる。