15/07/19 20:25:52.69 zNyvU2bp0.net BE:215630516-PLT(15000) ポイント特典
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日本会議の中核メンバーが目指すのは、端的にいうと、戦前の皇国日本の“栄光”を取り戻すことだ。
彼らは何十年も前から周到な計画を練り、着実に布石を打ってきた。
もし、このまま事態が進むと、彼らの悲願は成就へと向かうかもしれない。
ラディカルな皇国思想を持つ宗教団体「生長の家」
ここで生長の家について簡単に説明しておこう。
教団の歴史は戦前、谷口が人生苦の解決法を説く個人誌『生長の家』を創刊した時から始まる。
彼はキリスト教や仏教、神道などから種々の要素を取り入れて万教帰一、すべての教えは同じ、ただ登り口が違うだけだと説いた。
また、彼は天皇を現人神として崇めた。「一切は天皇より出でて天皇に帰るなり」と説き、
聖戦完遂を唱えて教団を大発展させた。
敗戦後は一転して自由と平和を唱えたが、公職追放から復帰した後、右傾化・神道化を強めて教勢を拡大させた。
紆余曲折はあったにせよ、谷口は戦後の宗教界で最もラディカルな皇国思想の持ち主となった。
彼は「明治憲法復元」を掲げて1964年、生長の家政治連合(生政連)を作り、
教団の政治進出を本格化させる。その生政連の国民運動本部長に任じられたのが村上さんである。
それから10年後の'74年、愛国心高揚を目指す「日本を守る会」が誕生する。
臨済宗円覚寺貫主・朝比奈宗源が谷口らに呼びかけて作ったものだった。
そこに生長の家はもちろん神道、仏教などの宗教団体が集まり、作家の山岡荘八や思想家の安岡正篤らも加わった。
事務局は明治神宮に置かれ、村上さんは谷口の意を受け、事務局の中心メンバーとして働いた。
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