元大臣官房審議官「今だから言えるけど少子化は政府による大規模の産児制限が原因だった」 [509143435]at POVERTY
元大臣官房審議官「今だから言えるけど少子化は政府による大規模の産児制限が原因だった」 [509143435] - 暇つぶし2ch1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
15/04/12 07:31:58.44 blBI4hta0.net BE:509143435-2BP(1000)
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日本では、少子化が世界に類を見ないレベルで進みます。19歳以下の子どもの数は、米国が21.9%増、
英国が13.7%増、フランスが8.4%増と見込まれるのに対して、日本は53%減となります。
では、なぜそれほどまでに女性の数が減ってしまうのか。
大元の原因は、日本政府が終戦直後に行なった大規模な産児制限にあります。
当時の日本では、田畑の荒廃に加え、植民地からの大量の引揚者によって人口が急増し、
その上子だくさんでは、国民全員が飢餓に陥るという懸念が高まっていました。
そのため、1950年4月に優生保護法が改正され、人工妊娠中絶が認められる要件に
「(妊娠の継続又は分娩が身体的又は)経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」という項目が付け加えられました。
それをテコに、大規模な産児制限が実施されたのです。
結果として、その後20年にわたり出生率が低迷します。年間出生者数は、それまでの260万人から最も低いときには100万人も減り、160万人となりました。
このときの出生者数の大幅減が、さきほどの「子どもを生む年代の女性人口の激減」の原因です。
そのとき生まれた女の子は少なく(もちろん男の子も少ない)、その女性が生む女の子も少なく……という負のループによって、
子どもを生む年代の女性が急速に減少し続けるのです。政策によって人口をいじったツケと言えるでしょう。
歴史の皮肉でしょうか。実は、この産児制限は必要がなかったのです。なぜかと言うと、優生保護法改正直後の6月25日に朝鮮動乱が勃発し、
国連軍の前進基地となった日本では朝鮮特需によって経済が急速に拡大し、国民は戦前よりもはるかに豊かになったからです。
しかしそうなっても、なぜか妊娠中絶件数は減少しませんでした。年間出生者数が最低水準となる160万人にまで落ち込んだのは、なんと1961年のことです。
そのわずか3年後に、東京五輪が開催されています。「経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当するケースは、
おそらく皆無に近かったはずです。政府による人口妊娠中絶の奨励が、国民の生命倫理に重大な変化を引き起こしたのかもしれません。
URLリンク(diamond.jp)


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