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ある1冊の本が“反ヘイト本”として注目を集めている。東山紀之の自伝エッセイ『カワサキ・キッド』(朝日新聞出版、2010年刊)だ。
東山が3歳のときに、妹が生まれてまもなく、両親は離婚。母子3人が移り住んだのが、やはり川崎・桜木の小さなアパートだった。
この地で最初に出てくるエピソードが在日コリアンとの思い出だ。
「僕たちの住む地域には在日韓国・朝鮮人の人々が多く暮らしていた。うちのアパートもそんなコリアン・タウンの一角にあった。
近所には、日本名を名乗り、焼き肉屋を営む朝鮮人母子が暮らしており、僕より二つ上のおにいちゃんがいた。」
「僕と妹が毎日、お宅にあがり込むと、おばちゃんはいつも店の豚足を食べさせてくれる。僕たちはそれにかぶりついた。
貧しくてお腹をすかせていた僕たちは、あのころ、あの方々がいなかったら、どうなっていただろうと思う」
「あのころ、桜木の在日の人々のほとんどが、本名を名乗れない状況にあった。地元の小中学校の近くに朝鮮学校があったが、日本人の子どもの間では、
『朝校の生徒に会ったら鼻に割り箸を突っ込まれるから気をつけろ』などというデマが流れていたりした。僕は『そんなことないのに!』ともどかしくてならなかった」
「僕は韓国人の被爆者の人生に関心がある。差別のなかで、さらにまた差別を受けた人々はどんな人生をどんな人生観で生きたのだろう。
演じることが許されるなら、その人生を演じてみたい。伝える必要があると思うからだ」
そして本書の最後、35年振りに桜木のコリアンタウンを訪れた東山に去来するのもまた在日の人々への想いだった。
「この街に戦前、朝鮮半島から来た人々が多く働いていたのも日本の重工業を基底で担っていたからだ。僕が幼いころは『ヨイトマケの唄』のように
『エンヤコーラ』の掛け声に合わせて、泥の中でランニング姿で滑車の網を引いたり、ツルハシをかざしている人たちの光景をあちこちで目にした」
「幼い頃ころ、僕は在日の『シュウちゃん』の家に、毎日遊びに行っていた。蒸した豚足に赤いコチジャンをつけてむしゃむしゃ食べた。温かいトックのうまかったこと!」
「自分たちも貧しかったけれど、さらに貧しい人々を支えなければいけないという気持ちを大人も子どもも持っていたと思う」
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