中曽根元首相 「海軍将校だった私は土人女を襲う部下のため慰安所をつくった」 防衛省戦時記録より [504884911]at POVERTY
中曽根元首相 「海軍将校だった私は土人女を襲う部下のため慰安所をつくった」 防衛省戦時記録より [504884911] - 暇つぶし2ch2:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
14/08/29 20:30:27.02 y9QcBxDd0 BE:504884911-2BP(1000)
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>>1 のつづき

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。
そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。
かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。
そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」

おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。
その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と
書いていたのだ。

ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、
アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設を
つくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは
思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。
だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、
どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている
研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

つづく


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