14/07/22 09:05:13.60 2ZmxQ23i0●.net BE:299053135-2BP(11000)
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中部電力社長だった松永亀三郎氏はバンカーショット直前にゴルフコースを飛び出し、名古屋市内の病院へ急行した。
政界工作を担ってきた50代役員がくも膜下出血で倒れ、帰らぬ人となったのだ。1988年のことである。
50代役員は電力マン人生の大半を中部電秘書部で過ごした。政官財の有力者と独自の人脈を築き、次代の社長を嘱望されていた。
直属の部下だった秘書部幹部は松永社長より早く病室に着いた。あまりに早すぎる死に、悲しみと戸惑いが交錯した。
「ノウハウを何も引き継いでいない……」
ぼうぜんとたたずんでいると、役員の親族が1枚のメモを差し出した。救急車で運ばれる間、50代役員が必死に書き取らせたのだという。
そこには二つの建設会社の名前があった。政界対策資金に困った時、頼るべき2社と記されていた。
乱れた文字でつづられたメモはその後、50代役員の「遺書」として秘書部のごく一部に極秘に引き継がれていく。
2011年の福島原発事故から3年たった今年、建設会社に工面させて簿外で管理した裏金を政界対策に充ててきたと朝日新聞に証言した中部電元役員も、そのノウハウを受け継いでいた。
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